メロンクリームソーダ

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永遠は消えてからが永遠だった

"どうせいつか死ぬ。"

私は常にそう思いながら、死を意識して生きている節がある。永遠なんてあるわけもないしそれを信じたいとも思わない。生きる限り永遠だと思っていたものを23歳そこそこで既にいくつ捨てて来たかわからない。

そんな悲観人間の私が本気で"この瞬間の永遠"を願ってしまった存在が、BIGMAMAという最高にクールで熱くて優しいロックバンドだ。初めてライブを見てから3年半ほど。長いファンの方が多いので私なんかはまだまだぺーぺーだけれど、記念すべき2017年10月15日、日本武道館で起きた幻のような3時間を超個人的に綴ろうと思う。(なんだかんだで1ヶ月かかってしまった。)

 

少々個人的な話も挟まる。

1年半前に上京した私、この日は地元仙台で数多くのライブを共にした親友たちとの連番だった。"フォロー・フォロワー"の関係がいつしか"親友"と呼べるまでの仲になれた奇跡みたいな仲間だ。揃ってライブに行くのは多分2年弱ぶり、合流時点で既にドラマは始まっている感覚だった。だって、音楽が好きであること以外の接点が本当に何1つない。人の出会いって凄いなぁとひしひし感じた。

九段下駅に着き、地上に上がってほんの1分足らずでこれまた約束するまでもなく知った顔と鉢合わせる。こういう小さな偶然も本当にたまらない。雨が降り続き、寒さが少々刺さる日本武道館には、天気と反比例に笑顔と幸福感が既に満ちていた。長らく触っていなかった引き出しから引っ張り出したお気に入りのニットを抜けて行く寒気は、正面の看板を見た瞬間感覚の外に消えていた。

あれが聴きたい、これが聴きたい、一曲目はなんだろう?そんな妄想を膨らませていたらあっという間に物販列も終点。コーヒーでほっと温まりたかったところだが案の定どの店も満員。結局4時台にラーメンをかき込むというよくわからない流れで入場時間になる。

入り口に飾られた沢山の花を見ただけで「愛されてるなぁ〜〜泣」と涙目になる。入場。しっかりとした厚紙の封筒を手渡される。「何これぇ〜〜泣」と涙目になる。というかもう泣いている。場内にもたくさんのお花がある。「ああああああああ泣」完全に情緒不安定である。

席に着き、封筒を開ける。メンバーからと思いきや、まさかの"スタッフ一同より"。メンバー入場時に全員でタオルを掲げて迎えるサプライズをしましょう、という内容だった。なんて愛されているバンドなのだろう。まだまだ落ち着かない薄白い場内でタオルを濡らす。

 

開演時間をほんの少しすぎて客電が落ちる。メンバーがステージに現れ再び場内が明るくなると、予定通りタオルで埋め尽くされた景色が広がっていた。ほぼ全員タオル付き指定席買ったろ!ってくらいにあの歴代ジャケット柄タオルがたくさん掲げられている。彼らの歩んだ美しい10年間を、あの場にいたファン全員が同じ気持ちで誇り、ステージに映していたと思う。その景色を目の当たりにしただけで、楽器が鳴る前から涙が止まらなかった。

ライブはNo.9で幕を開けた。何を言うでもなく両隣の2人と手を繋いで一緒に歓びを歌った。

今以上の明日を

明日以上の未来を

誰一人奪われぬように

今以上の明日なんてあるのだろうか?それくらいに満たされていた。でも、この幸せを超える何かがこの先起こるのかと思うと、珍しく未来にワクワクしてしまった。この両手の先にいる人と、今脳裏に浮かぶ大切な人たちを誰一人失わずに、その日を迎えられたら。1曲目からそんな想いを噛み締めていた。

02. #DIV/0!

03. the cookie crumbles

と、大好きな曲が続いて、いつまで経ってもステージが滲んだままで迎えた4曲目のPaper-Craft。1番好きな曲、だなんて決めるのも野暮な話だけれど、どの曲が好き?と言われたら真っ先にPaper-Craftと答えるくらいには思い入れのある曲だ。イントロが鳴った瞬間私は天を仰いでそれはそれはひどい顔で泣き笑った。

僕は酷く薄っぺらなんだ

歌い出しのこの歌詞を初めて聴いたとき「私だ」と思った。 自分に自信がなくて、嫌われるのが怖くて、いつも他人の顔色を伺って、悪くなくても丸く収めるためにテキトーに謝って、結果優しい人みたいに扱われて、でも本当は全然そんなことなくて。時々この私ってちゃんと私なんだろうか?表ばかり取り繕って、それでも世間一般にどこか溶け込みきれなくて、私の中身って何なんだろう?そんな自問自答が日常的にあった。そんな私の気持ちも映してくれたこの歌、それとない自己否定から始まるけれど最後は

原因と結果は君が創ってるんだずっと
君の未来はいつも君の心にある

しっかり救済してくれる。「未来(はじまり)」。これを聴くたびに、自己嫌悪をずるずると引きずる毎日にささやかな改行を加えることができる。ありがとう。

全てをピックアップしてると終わりが見えないので個人的思い入れで抜き出していくと、次にピークが来たのは

07. 最後の一口

08. ダイヤモンドリング

この流れはBIGMAMAのライブに行くようになってからのいろんな思い出が走馬灯のように駆け巡った。死ぬのかなと思うくらい鮮明に。

二人の好きなケーキの最後のその一口を

甘くてとろけそうな表情が見たくて

自然と君の口元に運ぶ この気持ちを

そう呼んでもいいと思った

仙台でライブを見る時は、物販のあと整列までカフェでお茶するのが定番だった。特にBIGMAMAのライブの日はほぼほぼイタリアントマトでケーキセットを食べていた気がする。そして"最後の一口"を口に運んであげたりしてケラケラ笑っていた。最後の一口を聴くとそんな記憶がたくさん蘇ってくる。

ダイヤモンドリングは、ぶっちゃけ前々から大好きだったけれどなかなかライブで聴く機会に恵まれなかった私の執着心でしかない。「今日もダイヤモンドリング待ち〜っ!!」って言いまくっていたライブ前の高揚感や、今年の母の日ライブでようやく念願叶って聴けた時の感動(この時隣にいたのも仙台の仲間なのが激アツ)を思い出したり、聴けなかったときの思い出すら美しく蘇ってたまらなかった。サビ前の

また会えたね

このワンフレーズだけで「会いに来たよおおおおおおおお!!この日のために私毎日をちゃんと乗り越えたよおおおおおおお!!!また会ってくれてありがとうありがとう!!!!涙」という狂気じみた感謝に駆られる。合掌。

中盤戦は実はいっぱいいっぱいでところどころ記憶が曖昧なのだけど(なんのライブ行っても中盤の記憶が抜けてしまうのなんでだろう辛い)、久しぶりに聴いた

13. awasekagami

14.君想う、故に我在り

が、素晴らしかった。全編通じてとにかく照明がすごく綺麗だなと思っていたのだけど(武道館ってこんなに照明綺麗だった?ってびっくりした)、この2曲はそんな美しい照明と相まって本当に幻想的で壮大で、冬の澄んだ空気の中で星空を見ているような幸福感だった(個人的にはColdplayの音楽を聴いてるときと近い感じ、目の前のオーロラ感がすごい)。

ピックアップしたいのに大好きな曲ばかりでまとまらなすぎてごめん。愛です。

いつもダイバーにまみれてしまうので落ち着いて聴けない(笑)

18. 荒狂曲"シンセカイ"

20. 秘密

21. CPX 

あたりをじっくり堪能できたのも嬉しい。シンセカイのカッキーの「意識さえも途絶えてく」のところが一同大好きで、そこはマジで超集中して聴いた。カッキーの声量有り余る歌声がめっちゃめちゃ好きです!!!!!(ここぞとばかりの主張) CPXもイントロからひたすらまおちゃんが堪らない曲なので、これまたダイバーがいない環境で聴ける貴重なひと時を楽しみました……うつくしい…。ハコで聴くCPXって、イントロからごろっごろ転がってくるから気付いた瞬間ソッコー防御モード入るよね。笑

 本編の最後はSweet DreamsMUTOPIAであろうと思っていたら、一足早い登場。Sweet Dreamsは、YouTubeで秘密かじってる止まりだった私(なぜそこで止まっていたのか。ぶん殴ってやりたい。)が本格的にBIGMAMAにハマるきっかけになった曲。当時目の前にあったこと、将来のこと、上京したい気持ちなどなど色んな想いを抱えて実家の布団の中で聴いたのが最初。

悲しみが悲しみで悲しめるように
喜びが喜びで喜べるように

無でこのフレーズを読むと、当たり前じゃん、と思う。でもこれって私にとってはすごく難しいことで。私という人間はとにかく感情表現が下手くそで、悲しくても一回グッと押さえ込んでしまうし、褒められてもフリーズしてしまうし、嬉しくても反射的によっしゃ〜〜!!!ってすることができない。元々できなかったのではなく、いろんなものに対して勝手に気を遣いすぎて一人でがんじがらめになって、表に出すのが怖くなってしまったのだと思う。嬉しい時は素直に喜び、悲しければちゃんと泣ける、そんな風にまっすぐ生きられたらどんなに人間らしくて素敵か!そういう人間になって、私も"死ぬまで覚めない夢"を見ていたい。

そんな想いが溢れて、布団で泣いたあの日から時は流れ、同じ涙をこの日この瞬間も流すこととなった。

そしてそこからのMUTOPIAでの巨大キラキラテープ砲。ここで放つか!妄想していた景色がまたひとつ現実になって、現実になった瞬間夢の中みたいで、その境目がなくなった不思議な感覚を覚える瞬間だった。

さて、本編を何で締めくくるのか??

全く予想がつかなかったが、まさか

25.愛はハリネズミのように

が来るとは思わなかった。何人が予想しただろう。

人類史上一の寝起きの悪さと

トゲのある性格

強がってばかりで

本当は誰よりも臆病者

この歌詞が指すのはもちろん私のことじゃないけれど、同時に完全に私のことだった。もちろん私のことではないのだけど。「よくご存知ですね?」とどこから目線かわからない気持ちになった。全て許されたいし許せたらいいのにと、自分の小ささや、現実と思考の矛盾に締め付けられながらも、同時に零しそうな何かを掬ってもらったような、上手くまとめられないけれどそんな気持ちになった。優しい切なさを残して本編は終わる。

(本編が終わるまでこんな長くなってしまうと思わなかったし、そもそも全部読んでくれてる人なんているんだろうかという感じだけれど、ここでやめる女ではないのでアンコールいきます。)

 

MCがほぼなかった本編とは打って変わって金井さんがメンバーへの愛を喋る喋る。シンプルに、すごく生き生きしていて良いなぁと思った。(序盤で完全に触れ忘れたのだけど、ライブ始まって最初に投げかけた言葉が「似合ってるといいな」だったのめちゃくちゃ粋だったよな……)

常々思うけれどバンドって本当に奇跡。例えば同じ音楽を聴いているからと言って感性が同じか?同じ曲に対して同じ熱量か?と言ったら絶対的に違うし、ましてゼロから曲を作ると言う作業の中で異なる4〜5人の人間全員が感性ぶつけ合って関係破綻しないのすごいと思う。頑固さと柔軟さを両方持ち合わせた人間じゃないと到底無理。私のような頑固を拗らせて協調性を欠いている人間から見ると純粋に羨ましい。いや、もちろん彼らもめちゃめちゃぶつかっているのだと思うけれど。それでも同じ方を向いて、その先にちゃんとこんな美しい景色を作り出せるのだからやはり奇跡なんだろうな、と。

en.

01. We have no doubt

02. HAPPY SUNDAY

03. 神様も言うとおりに

04. until the blouse is buttoned up

日曜だしHAPPY SUNDAYやるんじゃね〜?!とか言ってたら本当にやってびっくりした。ここにおけるサプライズポイントは01.→02.がアルバムLove and Leaveの収録順で並んでるところ。順番に聴いていると勝手に脳内で次の曲のイントロが流れ出すっていう相当なあるある、ライブでそれが起きたときの高揚感ってすごいよね。

03.→04.の流れも完璧だった。最後にブラウスが来るのは絶対だと疑わなかったし、そうじゃなきゃ嫌だよ!くらいに思っていた。その手前に何を持って来るか、そこが争点だった(誰と争っているのか)。

たった3秒あれば僕達は未来を変えて行ける

神様も言う通りに を象徴している部分。この歌詞の意味が、続くuntil the blouse is buttoned upのイントロ開始3秒でわかる。あの、ジャジャジャーーーーーーン(伝わってくれ)が鳴った瞬間、別に私は何をしたってわけでもないけれど、立ち込めてた霧が消えて視界がサーーーッと開けていくような、何かが動き出しそうな、全身の数少ないプラス感情の集合体が内側から湧き上がって来るような感覚がして、未来が変わっていく予兆を感じた。ずっとずっと想像していた景色が目の前にあって、心底「永遠に今であってほしい」と思った。必ず消えてしまう、そうわかっていても願わずにはいられなかった。同時に、この音が消えてしまった後の私がちゃんと自分の手で未来を変えようと歩き出せるだけの勇気ももらっていた。当たり前のように手をつなぎ、タオルを掲げ、呼吸が乱れるくらいに泣いた。感動で涙を流せる幸せといったら何者にも変えられないよね。

how may the kindness be medicine to you
nobody can heal the scar
you hold other than yourself
I know that this only is a useless thing to do
but though yet I'll sing this song
to make you feel any better

私は特にこの部分が大好きだ。youtubeのMVで和訳付きで聴けたと思ったのだけど、見られなくなっていた…。私の勝手な和訳で書いて語弊があると嫌だからあえてまとめない、ので、和訳アプリなどでどうぞ。ちなみに試しにラインで和訳させてみたら

f:id:yuumiimai:20171103182446j:image

私がこの歌を歌うでしかし!

勘弁してほしい。怒るでしかし。

しかしわかってたけどラインの通訳ってほんとうに雑だな…。

 

 

こうしてアンコールは締めくくられ…

えっ、通い妻になるの!?

これを書かずに終われないですやん。最後の最後にあまりにもしれっとさらっと発表されたメジャーデビュー発表。いやぁ、嬉しい。嬉しいです。バラエティ番組のBGMでちゃっかり流れてることは多々あったけれど、嬉しい反面もどかしくて。タイアップとかあれとかそれとかいろいろ期待してしまうでしかし!ドッカーン行っちゃってください!って感じです。おめでとうございます!!発表の前置きとして、今の事務所への愛が惜しみなく語られていた。そしてスタッフからも冒頭に書いたようなサプライズ企画があって、まさに相思相愛、素晴らしい信頼関係だなぁとしみじみ。まさに"(超)愛されるバンド"ではなかろうか… ていうか、嫌う要素がないな?ないよね?ないです、わたしは。なんだか近頃はあまりにも情報が手に入りすぎて、知らぬが仏なことまで知ってしまって1人でショック受けてしまうことも少なくなくて。まぁそれは置いておいて。このバンドから切り取るものごとはひとつひとつ本当に優しくて美しくて、ただただ嬉しいです。

一字一句記憶できる人間ではないのでざっくりで申し訳ない且つ若干の相違があったらごめんなさいだけど、金井さんが言っていた「誠実な人間を裏切らない人になりたい」という内容のMCがグッサリ来た。私はちょうどこの数日前に"誠実とは何か?"という議論をしていたからだ。

せい‐じつ【誠実】

[名・形動]私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。

いや〜無理だ。どう考えても多少の私利私欲は入るでしょう。人間だもの。いまを。

私が思う誠実は、自分にとって悪だと思うことはしないこと。普通に生きていても当たり前に後悔の連続なのだから、余計な後ろめたさを作らないように自分の正義を守ること。そこに頑固になりすぎたら逆に不誠実に思われることもあるから難しいのだけど。私は完全にそれで、頑固がすぎて譲歩ができず後悔することも多い。

「誠実な人を裏切らない」というのは、「自分が誠実になる」とは言っていない。でも、誠実な人を裏切らないためには自分が誠実である必要がある。意味としては同じなのかもしれないけれど、物は言いようというか、こっちの方がいいな、と思った。「誠実でなければならない」という強迫観念になってしまっては良い自分まで圧迫するだけだ。なんだか誠実のゲシュタルト崩壊を起こしそうだけれど、私はこの考え方がすごく気に入ったし「誠実な人間を裏切らない人」こそ最も誠実な人間なのではないかと思う。思います。この感じ、金井さんのお父様が仰っていたという「お前が巻き込んだ人たちを不幸にするな」という言葉と通ずるところがあるのかもしれない、ですね。憶測だけど。

そんな誠実なBIGMAMAさんをまだまだ見足りない私たちは当たり前にWアンコールを要求してしまうし、ソッコー応えてくれちゃうからもう大好き。

en2.

01. 新曲

02. I Don't Need a Time Machine

この先また新たに私たちの大切な瞬間を切り取る一曲になるであろう音のかけらを見せてもらったけれど、これすっごく良かったから公式発表めちゃめちゃ楽しみにしちゃうゾ。首長くして長くして伸びすぎて妖怪になっても待ってる。

そして本当の最後の最後、この先どうしても辛くて苦しい時、合法的に過去に戻りながら未来へも進めてしまうお守りを置いていってくれた。これは2015年UKFC新木場で聴いて大好きになった曲なんだよなぁ。

過去に戻れる日が来たら
迷わず僕は今日を選ぶだろう
but, I don't need a time machine
折角だけど要らないよ
それは君となら迷わぬ今日を
毎日繰り返す気がするからさ
気がする?いや、出来るはず

タイムマシンなんて要らないよって言いながらも、それにうんうん頷きながらも、記憶は完全にあの日に戻ってゆくし、同時に今をもっと迷わずに進みたいなぁとか、もう少し寄り道してもいっか!とか、この先にある未来から見た今はどんな記憶になるのだろう?とか、過去も今も未来も全てに想いを馳せてしまう曲。

過去に戻れる日が来たら迷わず選びたくなる今日を、景色を、私たちは作れていましたか。

ステージを去るメンバーを名残惜しく見つめながら思う。

最後の音が止んだ瞬間から、この日この目で見、耳で聴いた全ては美しい永遠になった。

 

 

これが、あの日私が目撃したすべてです。

 

なんてことは言わないし、言えるわけがない。持てる限りの言葉を絞り出して練って練って書いたけれど、それでも全然伝え切れた感はないです正直。この10倍も100倍も、溢れるもの、感じたこと山ほどある。そもそもこんな一般会社員が書いた私的記事をここまで全部読んでくれてる人が何人いるんだよって話なのだけど。自己満足と言われればそれまでです。でも、どうにか形にして残さなきゃと思うし、何より書くことが大好きだから。どうせ書くのならほんの数人でもこの熱量が伝わればいいな、あの日を思い出すきっかけになればいいな、ドラえもんみたいなタイムマシンじゃなくても、ちゃちなタイムマシンでいいから誰かを乗せられたらいいな、そう思って書きました。もし読んでくれた人がいたらありがとうございます。

 

武道館では登場しなかった主役たちの勇姿が拝めるよツアーも行きたいなぁ。なんだかアフターパーティー感があっていいよね。仙台でDowsing For The Futureが鳴ればいいなぁ… などと願いつつ。(超個人的願い)

 

思い返せば半年前?この公演が決まって発表されたとき、私は人生のどん底にいた。無事この日を迎えられるまでにかなりの紆余曲折があった。絶対にこの日を見届けねば。それはそれは重たい思い入れを持って、続く地獄の日々を泣きながら踏み潰して蹴散らして最後には逃げ出して。そして恐る恐る踏み込んだ新しい世界は優しくて、結果的に笑顔でこの日を迎えることができた。自分史上最大の勇気と、成長と前進を経て会いに行けたことも嬉しい。最高のご褒美だ。

悲しみや苦しみはいつもこちらの事情なんて全く無視してやってくる。でも、楽しさや喜びは、それを願う気持ちを持ち続けた人にしかやってこない、と私は思う。八方塞がりでも、先が何ひとつ見えなくても、楽しいことしたいとか幸せになりたいとか、そういう気持ちがわずかでもあるのなら、無意識にそれは原動力や生命力に変わっていくのだと。

いつかまたどん底に落ちる日が来ても、私はこの日感じた幸せを忘れることなど出来ずに、自分が思う幸せを諦めることなど出来ずに、生き延びていけると思う。

 

毎日、毎秒、いろんなことが起こる。

それが良かろうが悪かろうが、私たちはいつだって重ねていくことしかできないのだ。

だからこそ、愛してる、は多めに。

ライフイズ、ミルフィーユだからね!

 

格別に美味しい一層を重ねてくれて

ほんとうにありがとう!

 

BIGMAMAを、愛してる!!!

 

 

 

ではまた。

 

 

 

わたしの「衣装」

変な服が好きだ

東京に来てから私服はおよそ高円寺の古着屋で買っている。誰も着てなさそうな服を見つけるとうきうきする。私のための服だ、私が1番似合う、って瞬時に思い込めちゃうあの自信が日常にもあればいいのにね。

最近、新しい服を買ってルンルンでSNSに写真を投稿すると、「イマイっぽいね」の類のコメントをくれる人がいる。これが、とっても嬉しい。服にも"わたし"をちゃんと表現できてるのかな、って嬉しくなる。

 

アースミュージックアンドエコロジー時代

が、私にもあった。高校までショートカットでバリバリ部活をしていた私にはいわゆる「女子大生」に憧れ、ゆるふわな服に走っていた暗黒時代がある。のちに量産型と言われる系統だ。もちろん当時は好きで着ていたけれど、どれも作りの小さいものが多く、170cm弱ある私はサイズを探すのも一苦労(ちなみに今は170cmオーバー)。そして何より似合わなかった。可愛いと思って買っても、いざ着ると他人を見て思い描く姿にはなれなかった。一瞬ニーハイとか履いてた時期もあった。殴りたい。もちろん量産型だったので誰からも何も言われなかったし、逆に言えば誰の目にも止まらなかった。

 

黒しか着ない時代

大学2年で某バンドにハマり、影響されやすい私は全身パステルカラーだったのが嘘みたいに黒い服ばかり着るようになった。そしてこの頃からハイブランドにも興味を持ち始めて変わったデザインの服を着るようになる。きゃりーぱみゅぱみゅみたいなフェアリーなリボンに付け替えてたアイボリーのコンバースはオールブラックに変わっていたし、フリルのショートパンツは黒のスキニーになった。

今まで以上に男ウケは悪くなったし(そもそもウケたこともないんだけど)、誰でもいいんだろうなみたいな奴にSNSで絡まれることもなくなったし、「葬式なの?笑」みたいなそれとなく敬遠する黒イジリもしょっちゅうだった。ショートボブにしてからは服とさらにイメージが合致したので、わたしのブラック化は加速するばかりだった。

この時期は2年半続いたけれど、ある時からみんな何も言わなくなったし、むしろ「カッケーな!」と言ってくれるようになった。髪にインナーカラーを入れた時も、最初こそやや引きだった友達も数ヶ月経てば「次は何色にするの?!」とか「見た目によらない思い切りの良さ良いと思う」とか(笑)褒めてくれる人が圧倒的に増えた。ほんとに人って慣れるんだな、と思った。一方で、「今まで着てなかったし見慣れないだけだ」と思っていてもやっぱり似合わないものは似合わないし、似合う服を着るのが1番カッコイイなとも思った。好きなものが似合えばいちばん良いんだけどね。たまたま変わった好みが自分に合うタイプで良かった。

 

変な柄こそ正義時代〜現在

 オールブラックを経て上京、充実の古着屋、そして私は柄物に手を出すようになった。(菅田将暉の影響も受けまくった)(最初誤打しててさだまさしって打った)

もう何着てても誰も引かないし、「ハイ出た〜ww」って面白がってくれる。ちょっとこれはハードかな(笑)って感じの服着て帰っても、親も「あんたそういうの似合っていいよね」って言ってくれる。

みんなから好奇の目で見られる、というほど派手なことはしていないし、特別おしゃれなわけでもないけれど、傷つく才能に特化しすぎた私にとってはたったこれだけの変化が周りに認められただけでも「続ければ認められる」んだって思えたし、自信になった。

私は美人じゃないし、コンプレックスなんて挙げたらきりがないけれど、それでも好きな服を着てる時は少しだけ自信が持てる気がするし、服や髪型の変化で自分自身も少しずつ変わるのが面白い。

一般人の私にはなかなか無縁なものだけれど、学生時代の発表会の類の経験から、「衣装」というものがとても好きなんだと思う。それを着てる時だけの人格、雰囲気の変化が楽しい。何かのスイッチが入る。私にとっては「私服」が「衣装」なんだろうなと思う。

 

新しい色を持った神様はいつも批判の先にしか生まれない。何を以って「自分」なのか。自分探しの旅とかつまらんこと言う前に手の届くところ自分らしくすることからだよ。私はいつだって背景に溶け込みたくはないし、そこにいるだけで何かが成り立つような、誰かの目に止まる存在になりたい。

 

いまは、目に見えない衣装も手に入れようと思っているところ。もう少し…!

 

いつだって自己ベストで生きたいよね。

 

 

 

峯田という人の話

 

「良質なライブ」とは何か。

 

いわゆる「良いライブ」いうものは、世にたくさんある。笑い、泣き、踊り、跳び、思い思いに感情を爆発させるあの場は本当に尊いし美しい。あんな密集空間の中に居ながら、たった一つの共通項以外お互いのことは全く知らないから、同じクラスにいたら相容れなかったであろう人同士も、どこかの嫌味な上司も冴えない平社員も、同じ音楽のもとごちゃ混ぜに楽しむことができる。すごいことだと思う。

それはそれで大好きな景色なのだけど、私の記憶の中にひとつ、どうしても何にも属せないライブがある。「なんだかよくわからないけどすごかったライブ」としか言いようがなかった。

 

銀杏BOYZ、峯田。

 

3年前のUKFC、銀杏BOYZの出演が発表された時、ネット上で結構ざわついていたのは記憶している。(のちに銀杏BOYZとしてのライブは3年前震災後の宮城が最後で、東京でのライブはなんと5年ぶりだったと知る。)

当時の私は恥ずかしながら銀杏BOYZを全然知らなかった。唯一知っていた曲は「東京」、友達のサークルのライブを見に行った時、OBの方が弾き語りカバーしているのを聴いて好きになった曲だった(超上手かった)。

 

 バンドメンバーが離脱し、実質峯田1人のステージとなる。「有名だしライブ見れるのレアっぽいから見とこ」くらいの気持ちだった。なんならその次のBIGMAMAがめちゃくそに好きなのでむしろそっちのことばかり考えていたと思う。今思うと本当にぶん殴りたいし観に行ってなかったら机に頭打ちつけてる。ドビーは悪い子!ドビーは悪い子!!

 

当日の朝、真夏のコーストに現れる「銀杏BOYZ」を纏った涼しげな白いTシャツの一団。[Alexandros]、BIGMAMAthe telephonesなどのTシャツが大半を占める中ではさすがに異質な存在に見えた。あと、ウェイがいない。銀杏BOYZはトップバッター。静かに淀みない足取りで会場に入っていく彼彼女らのオーラと目は、無知な私から観ても本当に「峯田のためだけに来た」って感じだった。

後方の少し高い位置から観れるのは新木場コーストの好きなところだ。いい感じの位置取り。最前線に見える白い帯。なんだか漠然とザワザワする。

本当に曲を知らなかったので、ここからはとてもざっくりした内容になってしまうのだけど許して欲しい。

 

ライブ中に全裸になって警察沙汰になったこととか、全然知らなかった。わたしは、東京という美しい歌しか知らなかった。だから、短パン一丁で現れて第一声「興味ない人帰って」と言い放った峯田に完全に度肝を抜かれてしまった。なんだこいつ…。そんなこと言われたら興味湧いちまうだろ…。

動揺している間にも荒々しく演奏を始め、一曲目から「戦争反対」「原発反対」と歌う。ほ、本当に何なんだこいつ…。頭がついて行かないまま峯田の音楽が頭にぶち込まれて全身を突き抜けて行く感覚。そんな彼の引きちぎれそうな叫びは東日本大震災を経験したこの身をすり抜けることなんて出来なくて、心臓がグッと締め付けられる感覚と、何に対してかも、感動か怒りか悲しみかもわからぬ涙が溜まった。動けなかった。

会場中が異様な空気感だったのをすごく鮮明に覚えている。ついさっきまでパリパーリしてたTOTALFATの時間が遠い昔に感じるほど、どこかの異世界にいる感覚。救いようのないどん底にいるような、かすかに光が見えるような。感情自身が感情をコントロールできなくなっていて、ただただ聴き入ることしかできなかった。

↓ セットリストはこんな感じだったそうです。


01. 人間
02. 夢で逢えたら
03. すばらしい日々(COVER)
04. 新訳 銀河鉄道の夜
05. ボーイズ・オン・ザ・ラン
06. 光
07. なんでこんなに好きなんだろう

 

強。

 

何が起きているのか、この感情はなんなのかわからないまま気付いたらライブは終わっており、放心状態というか、「なんか…スゴイ…」しか言えなかった。苦し紛れの褒め言葉ではなくて、本当に「なんかスゴイ」だった。

時が経って今思うと、その「なんかスゴイ」こそが峯田の真骨頂なのではないのかと思う。何が何だかわからないまま浴びせられた彼のなんかスゴイ音楽に、いつの間にやら魅せられている。そしてその「なんか」は彼が作ってくれた余白なのだと。その音楽から何かを掴みかけたとき、自分の中にある大切な「なんか」をそこにはめ込み、解釈することで、自分だけの歌になる。彼は何も押し付けてこないし、ひとりひとりがその音楽を自分だけのおまもりにする権利をくれている、ように感じる。

 

後にも先にも、あんな感覚になるライブはもうないだろうなと思う。圧倒的だった。あの瞬間、この世界において峯田の完全勝利。何か大きなものを得ているはずなのに何かを抜き取られたような感覚。その凄さと尊さに気付けたのは最近になってからなのだけど。

 

何を以って「良質なライブ」とするかは完全に個人の感覚の話なのだろうけど、私はあの日の銀杏BOYZのライブは「最高に良質なライブ」 だったと思っている。

 

峯田和伸、君は、イリュージョン。

 

素敵な音楽にグッサグサに刺されたい人生!

 

 

○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○

 

エンジェルベイビーを聴いたら記憶が蘇ってきたので書いた次第です。まだまだ知らないからもっと聴き込みたい。

(本来 峯田さん と言うべきところなのだけど 尊敬の意をしっかり込めた上であえて 峯田 と書かせていただきました。スミマセン)

 

 

 

 

ベスト盤なんて出なければいいのに

別に誰かのディスでもなんでもないのだけど。

 

ベスト盤、どう思いますか。

気になるアーティストが見つかったとき、ベスト盤が出ているとありがたい気持ちになる。ツタヤに行くとまずそれを借りてしまう。

たしかに代表的な曲が網羅されているし、一時的なコスパみたいなものはすごく高い。満足感がある。

でもそこで満足してしまう。あくまでわたしの場合だが、ベスト盤を最初に手にしてしまうとそれで全体を知った気になってしまう。対バンやフェスでやる曲も結構カバー出来ているし、ある程度それで事足りてしまうというか、そこで完結してしまう。

最近はApple Musicも使うようになり、レンタルすること自体減って来たけれど、ツタヤでレンタルしていた頃に踏み込み始めたアーティストはそのパターンが多かった。

わたしは基本的に配信が好きではなく、CDを持ち帰って開けて…の流れが好きなのでツタヤのアルバム5枚で1000円をよく利用していた。(基本的にCDは出来るだけ自分で新品を購入するようにしていたけれど、学生の財力ではお金が追いつかなかった。そこは誤解しないでほしい。)当然毎度5枚に収まるわけもなく視聴機で吟味するのだけど、ベスト盤があるとどうしても今欲しい曲のカバー率でそちらを選びがちになってしまっていた。そしてベスト盤を選んだパターンのものはだいたいそこで止まってしまった。

 

一方ベスト盤を出していなかったアーティストの場合、好きになった数曲が全部違うアルバム…!というのもザラだった。当時はユーチューブから入ることが多く、そうなるとシングルやアルバムリード曲のMVが上がるのは当たり前なので、この展開になるのもまた当たり前なのだけど。そしてその場ではウーーーンと頭を抱えながらも結局何回かに分けて全部借りていた。

そしてそうして借りたアーティストは今や全体を網羅できていたり、今も新譜を追いかけていたりする。最初こそお目当ばかり聴くが、周囲から曲をオススメしてもらったときもちゃんとアルバムの中にその曲がいるので、改めてレンタルに行く必要もなく即座に聴くことができ、どんどん好きになれる。

 

そんな経験が多いので、わたしはベスト盤が存在しない方が良い音楽体験ができるのでは、と思っている。

初めて聴く人が入りやすいことがベスト盤のメリットだと思うのだけど、裏を返すとそういう一面もあるのかなと思う。もちろんベスト盤というものは長い歴史と沢山の楽曲を積み上げて初めて出せる素晴らしいものだし、アーティストにとって記念碑的なものでもあるから、存在を否定するわけではないのだけど。ていうか私も買うし聴くし、ベスト盤。リマスタリングされてたりすると新鮮だしね。

配信で多くの楽曲が安価で網羅できるようになり、CDそのものも売れなくなっている時代、ベスト盤が持つ意味とは何か。どう思いますか。

 

タイトルで思いっきり吐き捨ててるけど、棚にCDが並んでいるのを眺めるのが好きな私はコレクター精神でこれからもCDを買い続けるだろうし、好きなアーティストのリリースはいつだって嬉しいんだけどね。

 

(結局何が言いたいんだよ!!)

 

 

 

初恋の人は不登校

恋愛と無縁すぎてこのまま仙人になると公言している私の初恋は実は幼稚園の年中だった。Tくん。

 

Tくんは学年1足が速くてモテモテだった。正直当時もそんなイケメンだとは思ってなかったけど、幼少期にモテるのはだいたい運動神経が良い奴である。彼は運動ができる上にとても優しい人だった。神か。

仲の良かった2つ上の従姉妹に「お手紙書きなよ!」と言われてラブレターを書いたことがある。後にも先にもラブレターなんぞこの時きりである。Tくんに渡そうとするも、彼はとてもシャイで、学年1の快足で園内を逃げ回るものだから、とうとう直接受け取ってもらえなかった。下駄箱の靴の中に入れた気がするけれど、事の結末は記憶していない。

年長に上がってからは関東から転校してきたこれまたモテ男のYくんと仲良くなり、家によく遊びに行くようになる。私の恋心はいつしか完全にYくんに向いていた。ちなみにYくんは卒園と同時に関東に帰ってしまったのだが、小学校に上がってからしばらくして、「ゆうみちゃんげんきかなぁ…と呟いています」という旨のハガキがYくん母から届き私はとても照れた。私のモテ期はあそこで終わったのかもしれない。

 

そんなこんなで小学校はTくんもYくんもいない環境で過ごした。学区の関係上、幼稚園、小、中、そのまま持ち上がらず、毎度バラバラになってしまうのだ。小学校でももちろん好きな人が取っ替え引っ替えいたが、ここは割愛(今思うとなぜあんな簡単に人を好きになれたのか思春期)。

 

中学校に上がる。私が行っていた中学校は4つの小学校から集まる少し大きい中学校だった。クラス発表を見ると、Tくんの名前が。6年越しに会う初恋の人、私は少しだけドキドキして登校した。

が、初日から卒業まで一度も彼の姿を見ることはなかった。彼は不登校になっていたのである。

不登校になる理由がある人には見えなかった。幼稚園時代と言えども本当に物腰の優しい人だったし、活発な方だったと思う。何があったのだろう。

時が経ち、担任や同じ小学校出身の友達からいろんな話を聞くようになり、その理由がわかる。

 

「お兄ちゃんもお姉ちゃんも学校に行っていないのに、なぜ僕だけ行かなきゃいけないの?」

 

これが彼が不登校になった理由らしい。

正直当時は「は?」って感じだった。理由はわからないが、彼の兄姉が不登校になっていて、それを見て「じゃあ僕も行かない」となったそうだ。そんなことが理由になるだろうか。学校は行かなきゃならんものでしょう、と。

熱心な担任だったので、たまに自宅訪問して本人と話し、ホームルームでその話をしてくれていたのだが、「背が高くてバスケが上手くてイケメンで、すごく優しい良い奴」と常々言っていた。そんな不登校おるんかい!と思いつつも、私が記憶しているTくんのままなんだなと安心した。

そんな特異な不登校だったTくんに私はとうとう会えないまま卒業し、その後も一切関わることはなく今に至っている。もしかしたらすれ違っても気付かなかっただけかもしれないが。

 

ずっと、学校は行かなきゃいけないもの、だと思っていた。もちろん義務教育の時期だし、行かなきゃいけないのは当たり前なんだけど、なんていうか「学校が世界」ではないのだ。彼はそれにいち早く気付いたのかな、とも思う。

校内の環境にマイナス要素がないのに不登校になるというのはある意味勇気が要ると思う。例えばいじめに遭っていたとしたら、学校という環境がめちゃめちゃマイナス要素だから逃げるために不登校になる、という流れは理解できる。でも、環境そのものに不満があるわけでもなく不登校になるというのは全くの別物ではないか。今だから思うことだけれど、あの年頃は「学校が世界」だった。学校のコミュニティから隔離されたら私生活もうまくいかない。そんな中で「兄姉が行かないなら僕もいかない」で登校拒否しちゃうTくんは今思うとめちゃめちゃかっこいいなと思う。あの頃の私たちが守りたかったスクールカーストなんて本当にしょうもないものだった。協調性がないとか、考えが甘いとかじゃなくて、本当は誰よりも世界の広さをわかってたのは彼な気がしてしまう。

 

今はどこで何をしているのだろう。全く見当もつかないけれど、きっと自由にのびのび生きているのではないだろうか。私の中ではもはや伝説のような存在になっている。今だからこそ、会って話してみたいなと思う。きっと生きてる角度が違う。叶うことはないのだろうけど。

 

恋心とは違った、何か特別な思い。謎を残したまま平行線の時間だけを重ねていくこの不思議な感覚、大切にして生きたい。

 

 

ものさし

わたしが知ってることなんて

嘘か本当かの線引きも曖昧な

ネットから得る情報がほとんどで

そんな情報だけで知った気になって

饒舌に語ってしまう自分には

なりたくないな

何を知ってるの?って言われたら

たぶん何もわからない

どんな環境で何を見て何を聴いて

現在に至っているのか

誰にも語らない場所でどんな努力をし

何を考え作りあげてきたものなのか

私には知る由もないことで

出来上がったものの表面だけ見て

嫌うことはできるだけしたくない

というか 無関心であってもいいと思うけど

悪く言う権利はないよなぁって

いかに楽しんでもらうか?喜ばせるか?

アウトプットの形が違うだけで

根本はみんな同じなんじゃないのかな

選ぶ権利はあっても

わたしに貶す権利はないような気がする

認めなきゃ認めてもらえない

受け止めなきゃ受け止めてもらえない

人も物事もできるだけ嫌いになりたくない

なるほどそういう切り口もあるのか

いや〜その角度で来るか〜

全部おもしろがりたい

自分は頭が堅くて

偏った脳みそなのわかってるから

全部新鮮に受け止めたい

価値観の物差しをたくさん持ちたいし

後ろからも真横からもちゃんと見たい

味方とか敵とかじゃなくて

いつもフラットな考えでいたい

自分で決めた正解があったとしても

何かを正解にするために

誰かを不正解にはしたくない

綺麗事かもしれない

でもそう思ったりした おやすみ

ドルヲタか男に生まれたかった

と、最近強く思っている。

勝手に説明する。

 

3パターンに分けてみる。

 

① わたし →♡ 女性アイドル

いくらでもキャーキャー言える。同性だからだ。いくらヤバイ!!!!!尊い!!!はぁ神様!!!!と叫んでもなんら支障ない。待ち受けにしたってなんら引け目は感じない。同性だからだ。

 

② わたし(男とする) →♡ バンドマン

いくらでも崇拝できる。同性だからだ。男にかっこいいと思わせる男ってスゴイ。男友達が男性アーティストを待ち受けにしてたりすると結構グッと来たりする(人によるけど)。同性だからだ。

 

③ わたし →♡ バンドマン

これだよ!!!!!これが!!!ダメじゃん!!?!!!!?牛乳瓶の底みたいな色眼鏡!!!そう、異性だからである。

どういうわけかバンドのフロントマンはやたらイケメンが多い。イケメンだから真ん中で歌いたがるのだろうか。実際わたしが好きなバンドも、フロントマンの顔がめちゃめちゃタイプとか普通にある。まぁこればかりは意思とは無関係の感情なので許してほしい。

でも!!!!わたしの場合仮に顔から入ってどんなに顔が好きでも、結局曲が好きじゃないとそこで完結するし、その先はない。聴かないし、もちろんライブもいかない。(逆に曲がすごく良くてかっこよく見えてきちゃう心理はあったりするが。)

 

ここでなんでもいいのでどっかのバンドのボーカルのツイッターとか思い出して欲しい。そのリプライ、本人の目の前で言えんの?みたいな言葉の嵐。え、君は彼女なの?の嵐。とりあえず落ち着けよ。それ、本人に言えるのか?タメ口とか本当に強すぎてビックリする。この手のタイプとはどうにも相容れないというか、論点がズレている気がしてそっと逃げてしまう。

好きな気持ちには変わりないのだと思う。でも、私にとっては違っていて。ラブ、ではなくて、そこにあるのはリスペクトで、例えばどこかで見かけても恐れ多くて声かけることもできないような、近寄れないような、触れられない神様みたいな存在。クソ重い思い入れを毎日真面目に背負って歩いている。

とは言えこれも所詮「一緒にしないで」というただの私のエゴで。それはわかっている。でも、だって、それでも、客観的に見たら女のファンなんてみんな同じに見えるじゃない?それが辛くて悔しいんだ私は。私が女じゃなければ、こんな風に思わなくて、思われなくて済んだのかなって思うんだ。

 

それだけです。一番自己中なのは多分わたしだし、しぬほど重たい女なんでしょうね。でも、好きだと思えたもの、構わずにぶれずに真摯に向き合って愛したいんですよ。薄っぺらい愛し方するくらいなら少々重いくらいでいい。

 

酒飲んでたからゆるして。