メロンクリームソーダ

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ドルヲタか男に生まれたかった

と、最近強く思っている。

勝手に説明する。

 

3パターンに分けてみる。

 

① わたし →♡ 女性アイドル

いくらでもキャーキャー言える。同性だからだ。いくらヤバイ!!!!!尊い!!!はぁ神様!!!!と叫んでもなんら支障ない。待ち受けにしたってなんら引け目は感じない。同性だからだ。

 

② わたし(男とする) →♡ バンドマン

いくらでも崇拝できる。同性だからだ。男にかっこいいと思わせる男ってスゴイ。男友達が男性アーティストを待ち受けにしてたりすると結構グッと来たりする(人によるけど)。同性だからだ。

 

③ わたし →♡ バンドマン

これだよ!!!!!これが!!!ダメじゃん!!?!!!!?牛乳瓶の底みたいな色眼鏡!!!そう、異性だからである。

どういうわけかバンドのフロントマンはやたらイケメンが多い。イケメンだから真ん中で歌いたがるのだろうか。実際わたしが好きなバンドも、フロントマンの顔がめちゃめちゃタイプとか普通にある。まぁこればかりは意思とは無関係の感情なので許してほしい。

でも!!!!わたしの場合仮に顔から入ってどんなに顔が好きでも、結局曲が好きじゃないとそこで完結するし、その先はない。聴かないし、もちろんライブもいかない。(逆に曲がすごく良くてかっこよく見えてきちゃう心理はあったりするが。)

 

ここでなんでもいいのでどっかのバンドのボーカルのツイッターとか思い出して欲しい。そのリプライ、本人の目の前で言えんの?みたいな言葉の嵐。え、君は彼女なの?の嵐。とりあえず落ち着けよ。それ、本人に言えるのか?タメ口とか本当に強すぎてビックリする。この手のタイプとはどうにも相容れないというか、論点がズレている気がしてそっと逃げてしまう。

好きな気持ちには変わりないのだと思う。でも、私にとっては違っていて。ラブ、ではなくて、そこにあるのはリスペクトで、例えばどこかで見かけても恐れ多くて声かけることもできないような、近寄れないような、触れられない神様みたいな存在。クソ重い思い入れを毎日真面目に背負って歩いている。

とは言えこれも所詮「一緒にしないで」というただの私のエゴで。それはわかっている。でも、だって、それでも、客観的に見たら女のファンなんてみんな同じに見えるじゃない?それが辛くて悔しいんだ私は。私が女じゃなければ、こんな風に思わなくて、思われなくて済んだのかなって思うんだ。

 

それだけです。一番自己中なのは多分わたしだし、しぬほど重たい女なんでしょうね。でも、好きだと思えたもの、構わずにぶれずに真摯に向き合って愛したいんですよ。薄っぺらい愛し方するくらいなら少々重いくらいでいい。

 

酒飲んでたからゆるして。

 

 

 

 

 

道ならぬ恋以前に

道ならぬ恋………。

 

昨日公開された映画「昼顔」。

ドラマが放送されていた頃、私はリアルタイムでは見ていなかったが、ツイッターで毎週のように「昼顔マジヤバイwww」みたいなのが流れてきていたので、なんとなく面白そうな印象はあった。

仕事をしていなかった3ヶ月の間、バイキング→グッディ→ドラマの再放送 の流れが定番だった(その頃の時事ネタにはだいぶ詳しくなった)。そこでおそらく映画の公開を控えての再放送になったドラマ昼顔を1話から見てみた。

不倫のドラマ、っていうのはなんとなくわかっていたけれど、見てみると想像以上のドロ沼でニヤニヤしてしまった。フィクションってわかってるからニヤニヤしちゃうけどこれ、身近に起きたら怖すぎだよ…。まぁここまでドロ沼になるのは、不倫されてもなお旦那や嫁が離婚しようとしないってところもあると思うけど。自分の旦那が友達と不倫繰り返してヤっちゃってんのに離婚したくないってなんなんだよ怖すぎる。そしていい歳して諦めない当事者たちもどうなんだよと。

…などと書いてはみたものの、これは自身が経験していないことだからそう思うわけで、当事者の気持ちなんてわかるはずもない。なんでこんな奴のこと…!と思ったって好きなものは好きだったりする。こんなに良い人なのにな…ってパターンもある。恋ってすごいな…(ボキャ貧)

 

そんな「道ならぬ恋」が招いた主婦の転落を描いたドラマだったわけだけど、見ていたら「普通の恋」すら手元にない私とはなんぞ???というあらぬ方向からの矢が飛んできたりした。学生時代ってなんであんな簡単に誰かを好きになれたんだろうな……。

友達、仕事、恋愛を3本軸とするのなら、私の人生からは恋愛が欠落していて、"結婚"も自分の歩く道にはないものしておよそ納得していた。顔で友達を選ぶような奴は周りにいないので、少々ひどい顔をしてても楽しい写真はガンガン載せたりするけれど、決して自分の顔に自信があるわけではないし、まして男性から好かれようなんて図々しいにも程があるぜって感じだ。顔じゃないよって言ったっていろいろあるだろ最低限のそういうの!!!!!

最近立て続けに友達の結婚式に参列して、"結婚は女の幸せ"的なアレ、なんとなくわかった気がした。ちょっといいなって思った。できたらいいな、くらいに思ってる人は大体結婚できないよって言われるのもすごいわかるんだけど、がっつくのもなんか痛いなって思っちゃうわけ。なんかもう全部うまいこと転がっていけばいいよ……。

 

そんなこんなで眼科の待ち時間に思ったことをつらつら書いているだけの駄文でございました。映画昼顔見に行きます。

 

北野先生のことサンシャイン斎藤って呼ぶのやめろ。笑

 

 

そう、iPhoneならね。

「夢はなに?」

と聞かれたとき、何と答えたらいいのかわからなくなった。やりたいことなんて山ほどあるのに、口に出して言えなかった。

 

 夢、将来、やりたいこと

あれをやりたい、こうなりたい、を強く思っていても、口から上手く出せないときがある。

歌いたいとか、曲を書きたいとか、文を書きたいとか、ある。でもそれを仕事にしたいと口から出せないのは、きっと自分自身がそれをやり遂げられる力も自信もないと思ってるから。傷つくのが怖いから。人の前に立つことはわかりやすく賞賛を受けることができる反面わかりやすく傷つけられる他者承認欲求の塊の私にとってわかりやすい賞賛は生きる理由になる。その反面匿名という無敵のバリアを纏った敵に容赦ない攻撃を受ける可能性もあって、それは時に自分の力ではどうにもならないことや理不尽なこともたくさんあって、その時私は自分で自分を壊してしまわないだろうかと不安になる。

自分が持っているものを信じているようで本当は信じられていないのかもしれない。こうやって勝手に書き綴っているところ止まりの才能なのかもしれない。そう思ってしまう自分の気弱さもクソだなと思うし、私らしいなとも思う。

 

自分が良いと思ってないものが他人に良いと思われるわけがない。仮に思われても後々自分を苦しめるだけだ。でも自分がゼロから作るにあたって、これで完璧!って納得できるものって果たして作れるのだろうか。無理な気がする。だって人間って成長してしまうもの。

書けど鳴らせど、夜が明けたらまた納得いかなくなるのだ。永遠に誰かに胸張って見せることなんてできないんじゃないか。笑

 

つまり私はこういう奴なんだ

ここまできたら誰しもお分かりだろう、私という人間のめんどくささが。でもこの気持ちって多分私だけじゃないと思うんだよ。私もだよ!って言ってくれる人を探しているんだよ。

 

………!!!

 

(突然答えが出てびっくりしている)

 

そうかそういうことか。誰かを救いたいとか、そういうんじゃないんだ。「私はこう思うんだけど、どう?!」を究極に美しい形で問いかけたかったんだな。

 

 

悶々と悩んでいたことも、こうして文字に起こすと整理できて良いね。iPhoneとの対話、良いと思います。

 

捕まえられない自分も見つけ出せる。

そう、iPhoneならね。

 

 

 

 

 

 

主人公は死なない

きっかけ

サラサラとタイムラインに目を通していたら、#死なない杯 という面白いタグ(企画)を見つけた。死に瀕した人たちがギリギリでこの世と自分を繋ぎ止めている方法などで溢れているんだろうと思っていた(重い)が、実際に読んでみると料理の作り方や町の歩き方など、実に生活感のある、それでいてどこか洒落た記事が並んでいた。これのどこが"死なない"に通じるんだ?と思いつつもいくつかの記事を読んでいくと、そうなんだ!という驚きだったり、これは試してみたい!だったり、"これから先への前向きな思考"が発生する。"死"にエンターキーを押す日が遠ざかる気がした。

 

死なないためにしたこと

3ヶ月前に鬱で仕事を辞めた。辞めるまでの月日は本当に地獄のようで、退勤して自宅に帰る道さえ常に心臓を掴まれていて、いつ握りつぶされるかわからないような気持ちだった。

そんな中で私が自己救済のためにやっていたことは"音楽の中の主人公になる"ことだった。

 

主人公になる方法(超簡単)

1.大好きな音楽を集めた相棒を用意する

私は昔からウォークマンユーザーだが、iPhoneでもなんでもいい。とにかく好きな音楽を集めた耳の相棒を用意する。イヤホンもある程度こだわると自己満足度が高まる。私はここ3年半くらいずっとオーディオテクニカのちょっと良いやつ。

 

2.ちょうどいいボリュームで聴く

これは当たり前のようで結構重要。小さすぎることはまずないと思うが、爆音すぎるとリアリティが失われる。あくまでちょうどいい感じ。そもそも爆音で聴くと危ない。

 

3.自分のルックスを脳内で書き換える

自分で自分の顔が見えないことの利点をここで存分に使おう。ほ〜〜らあなたは小松菜奈〜〜!!

 

4.さぁ世界はミュージックビデオ!!

さぁ機は熟した!!思い思いのストーリーを脳内に描いて歩く。映画の最後、街を歩く主人公を映しながら流れる主題歌。私はそんなイメージで見慣れた景色の中を歩く。 繰り返すうちに世界の見え方が変わってくる。ひとつひとつに何かを見出そうとするようになっている。嘘じゃない。

 

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行って仕舞えばこんな行動ただの現実逃避だ。自分の不遇を美化して誤魔化そうとしているだけ。それでも私にはそうしないと歩を進めることもままならなかった。そしてこれを繰り返しているうちにいろんな美しさに気付けるようになった。なんでもない日常の映像にいい感じの音楽つけるとその"日常"が超尊く見えてくるあの感じだ。

 

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満員電車で必死にiPhoneでAKB総選挙見てるサラリーマンも、金網越しに電車を見る親子も、夕日の中を走る中央線も、コンクリートの隙間に咲いた花も、点滅し続ける蛍光灯も、全てが美しい。

今目の前にある美しさは、突如そこに現れたものではなくて、自分が今まで日々を積み重ねてきたのと同じように、それぞれが見えないところで積み重ねてきたものがあって、やっと今ここに成り立っている。

 誰ひとり、何ひとつ同じ日々などなくて、同じ大きさの苦しみも同じ大きさの喜びもなくて、全てがオリジナルの今を生きている。それが作り出す美しさ。それを感じられるようになったら少しだけ世界がマシに見えたし、まぁ死ぬよりは生きてたほうがいいんじゃないかね、くらいには思えるようになった。

 

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どんな物語も主人公は死なない。私の視界に広がる世界の主人公はいつだって私だ。好きな音楽を連れて街を歩こう。苦しかった一歩がほんの少しだけ軽くなる。 

 

 

 

社会復帰

を、する。

明日(というかもう今日)から。

 

仕事を辞めてからの3ヶ月は早かったと言っても遅かったと言っても頷ける。ただ目の前に時間だけがあった。自由の喜びなんて一瞬だった。早く働かなきゃ、という焦り。もちろん働きたいなんて思っていない。ずっとダラダラしてたいし毎朝ゆっくりしたい。でも親にお金を振り込んでもらうのは心苦しかったし、友達が泊まりにきて外食に出る時も罪悪感があった。親と言えども他人のお金で生活することはやはり窮屈だ。だから働かなければならない。

丸一日かけて面接対策したって落ちるものは落ちるし、まぁいいかって感じで受けても進むものは進む。そんなもんだ。ある意味いろいろと貴重な経験をすることができた。そもそも無職というものを経験しない人だって少なくない。わたしは良い経験をしたのだ。今はそう思う。

 

眠くて何を書いているかいまいち自分でも怪しいけれど、節目だから書いておきたかった。

 

無職最後の日に豪快に遊んでしまったけれど気持ちよく寝付けそうだ。

 

おやすみ

 

 

ゴールネットが揺れる瞬間

 

年単位で久しぶりにサッカーを見に行った。

横浜F・マリノス×ベガルタ仙台 @日産スタジアム

 

私は実はベガルタサポーターである。父親ベガルタの前身のブランメル仙台からのファンだった。よって私も野球かサッカーか(この質問ってめっちゃ野暮)といえば完全にサッカー畑で育ってきた。野球に関してはポジションがいつまでたっても覚えられなくて、何回聞いてもショートがどこか忘れてしまう。WBCだけ観る。

 

幼い頃からスタジアムに連れていかれていたけれど私は見向きもせずいつもリカちゃんで遊んでいた(気がする)。

中3の頃、サッカー部の女の子と仲良くなり、ベガルタの司令塔・梁勇基 のプレーに惚れ、ユアスタに通い始める。父親ベガルタを通じて出会った人たちの中に混ぜてもらい、毎回客席の1番元気なあの辺で見ていた。

大学2年、私はライブハウスに飲み込まれ、サッカーから徐々に離れて行った。ごくたまに見に行ったり、試合結果はちょくちょく確認していたが、以前ほどの熱は失ってしまった。好きだった選手がどんどん移籍してしまったり、世代交代にうまくついていけなかったのもあるのかもしれないが(ダメなファン)。

 

そして先日、久しぶりにひっぱり出した背番号10をまとって、日産スタジアムに踏み込んだ。アウェー戦を観るのは初めてだった。サッカー専用スタジアムのユアスタに慣れていたので、トラックがあってピッチが遠い環境に私はいつまでも順応できなかったが、試合はお構いなしに進んで行った。

久しぶりに見た梁さんは相変わらず少し猫背で見つけやすくて笑、スッと的確な動きで全体のバランスを整えていく。派手なプレーはしないが職人である。背番号10を追いかけて、あの頃の熱が蘇ってくる。

チームが攻め立てていれば無意識に胸の前で手を組み祈り、シュートが決まらなければ仰け反って頭を抱える。感情に実に素直でいられるのでたのしい。

前半終了間際にマリノスの先制弾を喰らい、苦い気持ちのまま迎えた後半、ベガルタのゴールネットが揺れる。その瞬間、客席はちぎれんばかりの勢いで両腕を突き上げ飛び跳ねる。前後左右、知らない人とガッツポーズをしたりハイタッチをしたり、あの瞬間だけ全サポーターの社交性がぶち上がる。この瞬間のために生きていた〜〜!!!系のテンションになる。これがやみつきなのである。私自身バリバリの運動部出身なので、久しぶりのドキドキに これこれ…! となってしまい、現在うっかりJリーグに再燃しかけている。

結果としては1-1の引き分けだったけれど、パスはよく回っていたし、よく攻めていて見ていて楽しい試合だった。大学の先輩が2名ほどいるのだが、その背番号ユニフォームを着ているサポーターも数年前より格段に増えていて嬉しかった。

 

ライブハウスに通った経験を踏まえた今の私が感じたのは、スポーツ観戦と音楽ライブには共通点があるということ。全員が1つの物事に期待やドキドキを向けていて、全員の高揚度がブチ上がった瞬間、誰彼構わず笑い合ったり手を合わせたりする。思い思いの気持ちを服装や持ち物にも表す。

お互いの名前も年齢も、何の情報もない人たちの集まりだが、「このチームが好き」「このバンドが好き」というひとつの共通意識があることだけはわかっている。だから、その共通意識下に起きた出来事ならきっと同じ思いを抱き、分かり合えると思っている。だから初対面の人と喜び合える。(もちろん1人でゆったり観るのが好きな人もいる)

 

今でこそ周囲の友人から顔が広い、友達が多いなどと言ってもらえることが増えたけれど、私は元来人見知りで引っ込み思案であった。引っ込み思案は今も治らないけれど、人見知りはサッカーやライブハウスに行くようになってから改善されたし、結構社交的になれた。

ゴールネットが揺れるあの瞬間のような高まりを、ひとつでも多く味わいたいと思う。そしてまだあの瞬間の気持ちを知らない人にはどんどん知ってほしいと思う。

 

私の周りにはいわゆる無趣味、な人が結構多い。何かに傾倒して惜しみなく時間もお金も費やす、という行動自体できる人できない人がいると思うし、無趣味であることを否定するつもりもないけれど、個人的はもったいないなぁと思う。何かしらの場で "あの瞬間" を味わって、その味を占めたなら、日常は今より少し(あるいはもっと)明るくなるし、日々を力強く重ねることができるのではないかと思う。

 

ちなみにベガルタのチャント(応援歌や掛け声)には氣志團THE BACK HORNの曲が使われています。サポーターは温かいし、マスコットのベガっ太さんは最高にクレイジーで可愛いです。Jリーグマスコット総選挙で唯一2度優勝している猛者です。是非一度スタジアムへ。(抜かりない勧誘)

 

 

川崎戦、FC東京戦も行く気満々。

 

 

 

 

ダイヤモンドリング(2017.05.14)

 

"ダイヤモンドリングが聴きたい"

 

これが2年半ほど前からBIGMAMAのライブに行くたびの私の口癖だった。

事の始まりは確か2014年夏のUKFC仙台。今日は何をやるのかな、あれが聴きたいこれが聴きたい…なんて話をしながら開場を待つのは定番のこと。ライブハウスに行くようになって出来た友達との繋がりも深まって、いつものように昼からみんなで集まっていた。誰かが「ダイヤモンドリング良いな〜!」と言ったのがきっかけで「聴きたいな〜〜!!!」と大いに盛り上がった。結局その日のセットリストには入っていなかったが、まるでその日にダイヤモンドリングを聴いたと錯覚するくらいにダイヤモンドリングの話で盛り上がった。

それ以降もワンマン、対バン、いろんな形でBIGMAMAのライブに足を運んだけれど、ダイヤモンドリングには出会えなかった。タイムラインに流れてくる行けなかった公演のセットリストを見て悔しくなることがしばしば。

月2.3本はライブに行っていた私だが、1年前に上京してからはいろんな事情でライブに行くこともままならなかった。そんな中でHYとのツーマンツアー(Zepp DiverCity)には足を運んでいたがそこでもダイヤモンドリングには会えず。

 

そんなこんなで2017年母の日が迫る。2月に仕事を辞め、まだ就職先が決まっていなかった私は親の仕送りで生活していた。そのため親からもらったお金でライブに行くのは気が引けてこの日のライブは諦めていた(2日前まで)。が、私にBIGMAMAを勧め、大好きにさせてくれた相棒がこの日のライブのために泊まりに来ることになっていた。さすがに自宅から彼女1人を見送るのは辛くてしょうがなかった私は心の中で「ゴメンナサイゴメンナサイ仕事絶対決めるから今回だけ許してゴメンナサイ」という気持ちでチケットを取ってしまった。

当日は絶妙に天気が悪かったが、朝から郊外の狭い1Kはわくわくで満ちていた。母の日。メールすら照れ臭くて素直な言葉では打てなかったけれど、母親にメッセージを書き、"母に贈る歌"のURLを添付して送信した。

整理番号は離れていたけれど、ラッキーなことに2人隣合ってライブを見ることが出来た。久しぶりに前の方でもみくちゃになっていろんなところが痛かったけれど(笑)、ここのところ閉塞感溢れる生活をしていたのでそれすら清々しかった。大好きなPaper Craftのイントロが流れたとき、それを知ってて「良かったね〜〜!!」と隣で笑ってくれる人がいるってすごい奇跡的なことだなぁと思い、気付いたら向かい合って恋人つなぎをするなどしていた。(謎すぎ)(私は喜びが爆発すると手を掴む癖があるらしい)。

 

久しぶりの感覚に夢中になっていたらあっという間に本編は終わってアンコール待ち。私はいつものごとく"ダイヤモンドリング待ちだからさ〜!"と話していた。もちろんめちゃめちゃ聴きたかったけれど、半ば恒例行事的にというか、本当に聴けるとは正直思っていなかった。

アンコールのMCでBIGMAMA側に届いたメールの話が上がる。"このライブが終わったらプロポーズをします" という方がいらっしゃるそうな。な、なんて男前かつイケてる方法なんだ…。私と結婚してくれ…。

BIGMAMAからはこの曲を送ります」

その瞬間、"まさか!"と"いや違うか…"が同時に脳内を渦巻いた。

 

気付いたら全力でハグしてた。

 

なんかもう手を掴むとか通り越してハグしてた。謎すぎ。なんかもう私たちが結婚するみたいになってたと思う。豪快にいきすぎて後ろの人とかドン引きだったと思う。(当事者は周りなど全く見えていなかった)(恋は盲目とはこのことか)

「今日来て良かったね!!!」

ほんとそれな〜〜〜!!東京来てくれてありがとうな〜〜!!!!!って感じだった。泊まりに来てくれてなかったら多分諦めてたよ。そしてあとからセットリスト拾って頭抱えてたよ。

仙台の街中で「ダイヤモンドリング良いな〜〜!!」って話してから2年半、2人一緒にダイヤモンドリングに会うことが出来た。初めて出会えたけれど、"また会えたね" そんな気持ちだった。

プロポーズした彼は今笑えているだろうか。いや、あんな素敵なライブ見せられたら間違いないだろうな。幸せであってくれ。

 

音楽の中には思い出を詰め込むことができる。それを聴くと思い出す瞬間がある。ライブで聴いて思い出になる曲もあれば、聴けなかったことで思い出になる曲もある。

"ライブで聴けなくて思い出になっていた"ダイヤモンドリングがこの日、"ライブで聴けて思い出になった"曲となった。

 

次にBIGMAMAのワンマンに行くのは日本武道館。仙台の仲間たちと一緒に見る予定だ。

"武道館でブラウス聴けたら最高だな〜!"

公演発表前からずっと話題にしていたことだ。

果たして当日この曲がどんな思い出になるのか。どんな夜が待っているのか。わくわくしています。

 

まずは充実の全国ツアーを祈って。

いってらっしゃいませ!!

 

(ちなみに母の日の翌日、就職先が決まった。)