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メロンクリームソーダ

前の住処:imatanblr.tumblr.com

音楽は繋がってゆく

 

音楽は繋がってゆく

 

もししっかり読んでくれている人がいるのなら、前回の記事と続けて読んでほしい。

 


SHE'Sと出会った日、私はブライアンを目的に行っていたと書いたが、実はブライアンもSHE'Sと同じようにライブで掴まれたバンドだった。

 

 

アンテナがいたからブライアンと出会えた

 

初めて見たときはブライアンのリリースツアーの対バンにアンテナがいて、私はぶっちゃけアンテナが見たくてそのライブに行っていた。ブライアンの曲は神曲しか知らなかった。

 

が、ライブを見て、ピーン!と来た。アバウト過ぎるけど本当にこればっかりは感覚。すごくカッコよかった。その頃個人的にArctic Monkeysにハマってたんだけど、時々ちょっと似た雰囲気のフレーズがあったりしてグッと来た。渋い。鋭い。あとMCが深い。

 

終演後静か〜にフロアに出て来た森さんに声をかけて「実は曲全然知らなかったんですけど予習なしで来ました。すごく良かったです。」と正直に伝えた。すると「あの、ライブの予習って文化なんなんやろな?」という答えが返って来た。

 

自分が行くライブであまり知らないバンドが対バンにいると「予習」をする風潮があると思う。定番曲、人気曲、あと最近だと振り付けとかも。

 

確かに知っている曲があった方が楽しめるのかもしれないし、一概にそれが間違いだとは思わない。私も最初はサラッとYouTubeで予習することが多かった。どちらかというとフロアが踊る系なのかゆったり見れる系なのか、それは知っておかないと怖いみたいなところがあったからだけれど。

 

 ただ、「ライブが良いバンドは間違いない」というのを自分の中で確信してからは、あえて何も予習しないで行くようにしていた。ライブを見て、良いと思ったらそこから掘り下げて行く。

 

最近はそういう聴き方をしていると言ったら森さんは「それでいいと思う」と深く頷いて下さった。考え方は人それぞれだと思うけれど、私はとにかくフラットに音楽を受け止められるようになりたいと思っていて、アーティスト目線での意見と合致したことが嬉しかったし、これからも新しい出会いを純粋に楽しもうと思った。

 

 

アンテナを勧めてくれたのはSNSの友達

 

そんなブライアンとの素敵な出会いをくれたアンテナを勧めてくれたのが(なんだか話がマトリョーシカみたいになってきた)、ツイッターで出来た友達だった。

 

出会った頃はJKだったのに今やすっかり大学生になっていてお姉さん泣きそう。

歳下だけどしっかり者で、行き当たりばったり人生な私と違ってしっかり将来を見据えてる奴なのでとても信頼している。

 

私の倍くらいライブ通い歴?があるのでとにかく詳しくて色々教えてもらっていた。その中で仙台のバンドだよって紹介してもらったのがアンテナ。

 

ちなみにさらに遡るとこの友達と出会ったきっかけは[Alexandros](当時[Champagne])、のちにBIGMAMAも勧めてくれてライブにも連れてってくれたりした。見事どハマりしている。

 

 

思いがけない出会いで溢れている

 

何か1つ好きになれたら、そこからどんどん広がっていく。YouTubeだけじゃわからないことが現場では起きてる。対バンやフェスはそういう意味でもすごく面白いもので、新しい出会いがゴロゴロ転がっているので大好きだ。

好きなアーティストのルーツを掘り下げていくのもすごく楽しい。私はそれで洋楽が聴けるようになったし、掘り下げることでその人たちの楽曲をより理解できたり、どういう部分で影響を受けてるのか聴いてて気付けたり、どんどん広がっていくので楽しい。 

 

人も同じなのかもしれない。ツイッターだけじゃわからないことも沢山あるなと思った。すっごいふざけたことばっかり言ってるけど実際話したら凄くしっかりした奴だったとか、ツイート暗いのに会ったらめっちゃケラケラ笑う奴だったとか。

ただ、内容がどうであれ面白い書き方をするな、センスあるなと思ってる人は実際会うと裏切らない。マジで面白いし刺激を受ける。だから私はツイート面白いなと思ってる人とは積極的に会おうとしている。最近好きなバンドが同じとかそういうとこより、ツイートが面白い人を探しちゃう。

 

少し話が逸れたけれど、要するに、出会いは偶然の連鎖。その中で自分にとっての特別や運命を感じられるようなものに出会えたなら、それをずっと大切にすればいい。そしてその大切なものを愛する気持ちがまた新しい出会いを運んで来る。

 

そう思うと、なんだかワクワクしてきませんか。興味がないから本命のバンドだけ見て出ていく人とか、もしかしたらすごく勿体無いことしてるかもしれないよ。運命、みすみす逃してるかもしれないよ。

 

これからも知らない音楽に沢山出会っていきたいから、これを読んでくれた方にはオススメをどんどん発信してほしいと思うし、私も好きなものは積極的に発信していこうと思います。

 

 

それでは、ブランド着てる奴なのでもうgood nightします。(ユニクロのスウェット)

 

 

押し付けじゃない希望

 

3月19日

 

SHE'S One man Tour 2017 "プルーストの欠片"

@仙台MACANA

 

に、行ってきた。

 

ちょうど1年前のこの日、私は生まれ育った街、仙台を離れて上京した。引っ越す直前、最後に観るライブに選んだのが、SHE'Sの仙台初ワンマン「She'll be fine-chapter.0 @enn2nd」だった。

 

上京してからのこの1年の生活は本当に過酷で、ライブどころではなかった。(金銭的な意味で)

 

だから、SHE'Sを観るのも1年ぶりだったし、仙台のライブハウスに行くのも1年ぶりだった。

 

今回の公演に対する想いを書くにあたって、SHE'Sと出会った日までどんどん遡って行ったら、その日に至るまでの様々な音楽の繋がりが見えてきた。

 

 

SHE'Sとの出会い

 

SHE'Sのライブを初めて見たのは2015年6月、校外実習が始まる直前だったのでよく覚えている。Brian the Sun、Goodbye holiday、LAMP IN TERRENとの4マンでenn2ndに来たときのことだった。

 

全バンド一応知っていたしYouTubeで聴いたこともあった。SHE'SもVoiceで知っていたし、ピアノロックというのも今のシーンでは結構珍しいなと思ってたので(何様だ)印象は強かった。

 

ただ、この日私はあくまでBrian the Sunが見たくて行っていた。チケットもぎってもらうときもブライアンです、と言っていた。

 

出演順は覚えてないが、とにかくSHE'Sのライブは眩しかった。もちろん曲だってほとんど知らなかった。でもとにかくメロディが良くて聴き心地が良い、ピアノの旋律が見事、スケール感も何もかもYouTubeで聴く何倍も良かった。

 

まさに

 

事件は現場で起きているんだ!!

 

だった。

 

しかもMCで初めて仙台に来たと知って、これはなんという貴重な日に居合わせたのだろうと思った。あと関西人の饒舌さハンパねぇと思った。

 

気に入ったらその日にCDを買って帰りたいし、可能ならば直接感想を伝えたい派だが、その日は実習前で本当にお金がなくて何も買えなかった。終演後竜馬さんがフロアに出て来ていたけど、イケメン恐怖症な私は話す勇気がなくて帰った。(本当に眩しくてむりだった)

 

実習が落ち着いて、タワレコで既出のCDを揃える。と言っても当時はまだミニアルバム2枚だけだったが。

 

どんなアーティストでもあんまり好きじゃない曲ってあると思う。少なくとも私はそう。どんなに崇拝しているアーティストでもあんまり聴かない曲はある。

 

でもSHE'Sにはそれがなかった。全曲好き。一度再生したらいつも最後までノンストップ、ノー操作。すごいことが起きていた。そしてここから私はSHE'Sにどっぷりハマってゆく。

 

 

半年で3度のenn2nd

 

8月にまたSHE'Sは仙台に来てくれた。タワレコの企画で、カラスは真っ白、Goodbye holiday、Shiggy Jr.との4マン。

 

この時にはもうCDもかなり聴き込んでいたし、とにかく楽しかった。全曲好きだから何が来てもブチ上がった。基本地蔵だけど多分すごい笑ってたと思う。アルカイックスマイル的なそれを浮かべていたと思う。気持ち悪いですね。

 

竜馬さんの楽しそうにピアノを弾く姿がすごく好きだ。ピアノを習っていた頃ずっと表現力が足りなかった私にとってすごく羨ましく見えた。そして何より、

 

あ、私またピアノ弾きたい

 

と思った。

 

大学受験を控えてレッスンを辞めたけど、それまでだって低空飛行で続けて来た感じだった。でも、私はピアノ自体に嫌気がさしたのではなくて、義務的に弾くのが嫌だったんだ、好きな音を弾きたい、そう気付いた。

 

ちゃんと伝えたいな、と思った。この日もフロアに出て来ていた竜馬さんに、今度こそちゃんと伝えた。(はずだけど緊張しててあんまり覚えてない)

 

iPhoneにサインを貰っている時、左利きなことに気付く。私自身も左利きなので、勝手に親近感を覚えて「私も左利きです!」とかどうでもいいことを口走ってしまったのだけど、竜馬さんは「左利きは天才やからな〜!」と言って下さった。私はこの言葉を鵜呑みにした。私も天才なんだと簡単に自分を信じた。

 

その後お守りみたいに使っていたiPhoneも年老いて下取りに出してしまったのでもう手元にはないけれど、あの時の言葉はずっと覚えている。都合の良いことばかり覚えているとはまさにこのことだ。悪くないと思う。(下取りに出した時店員さんが あ、あの…本当にいいですか…?思い出が詰まって…いるような… ってすごく心配してくれて辛かった。笑)

 

その次は10月頭のメガロックス。サーキットイベント。SHE'Sは初出演でenn2ndのトリだった。ブライアンが確かマカナのトリで、当日まで頭を抱えていた気がする。

 

enn2ndは規制がかかるほどパンパンに人が入っていて、すごく嬉しかった。このバンドはもっともっと大きくなっていくなって確信した。

 

 

そして程なくして2016年3月の頭にenn2ndで仙台初ワンマン開催が発表される。初来仙から1年たらずでワンマンまでもってきたか、と驚いた。もちろんすぐチケットを押さえた。旅立つ前、最後のライブに。

 

この日のライブは、たしか8月?に1人で行った時ナンパしてきて仲良くなった子(笑)と一緒に見た。話したら同い年だったり、同じチェーン店でバイトしてたりで、出会いって面白いなぁとこういうところでも思う。

 

全員がSHE'S好きで集まってる会場に初めて居合わせて、とっても心地よい時間だった。

SHE'Sはノスタルジックな気持ちを大切にしている曲が沢山あって、22年間暮らした仙台でのあらゆる思い出が走馬灯のように駆け巡って、何度も涙をこらえたり流したりしながら噛み締めていた。最後にここを選んでよかったと心底思った。

 

 

そして私は3月19日に上京した。

 

 

 

SNSは時に人を救う

 

いろんな面から総じて、直接伝える事が難しくなってきたので、インスタのコメント欄でいろんな想いを送るようになった。「上京してもめげないよーに!」の言葉を私はスクショしていて辛い時に見たりしていた。当たり前に一方的な想いだし、時に個人的な報告でしかなかったし、完全に依存だと思うけど、それでも何かすがるものがないと私は日に日に立ち止まることも進むことも難しい精神状態になってきていた。

 

年が明けて、いよいよボロボロになってしまった時「逃げるが勝ちな時もあるのを忘れずに。」という返信を貰ったことがあった。私は頑なに「逃げたら負けだ」と思っていた。でもこの言葉を受けて、ハッとした。ここから逃げることで私は何に負けるんだろう?私の人生が負けてしまうのだろうか?違う、私は人生を勝つ為に逃げるんだ。

 

そして私は逃げる為に全エネルギーを使った。苦しかった。ただでさえ不安定なのに夜は特に波がひどくて、理由のない不安に駆られてはしょっちゅう体育座りで小さくなってグズっていた。

 

そんな時にTonightをよく聴いていた。

 

SHE’S - Tonight (Music Video Full) - YouTube

 

 

"君が一人を感じたら この声を頼っていいから"

 

昔から他人に頼る事が苦手で全部自分でなんとかしようとしていた。それが時に良くないことも分かっていた。それでもなかなか直せるものでもないし、とにかく苦しかった。

そんな時、ウォークマンから流れる声に頼って私は救われていた。   

 

 

"僕らは生きてこそだ"

 

死にたい、という自発的な思いまではいかずに済んでいたが、"死"を意識する事がかなり増えていた。駅のホームでぼんやり立っているとよく「ああ、確かにいま飛び込めば仕事行かなくて済むよなぁ」とか考えていたし、切り札を使ってもなお逃げるための交渉がうまく進まなかった日の帰りは本気で「このままだったら逃げるにはもう死ぬしかないかもしれない」と思った。そんな時響いていたのがこの歌詞だった。

 

 

逃げ切った末、1年ぶりの再会

 

最終的に私は生にしがみついて逃げきった。色々と落ち着いた頃、いかに自分が落ちきっていたか、危険思考になりかけていたか気付いた瞬間ゾッとした。

 

次の場所もなかなか決まらずプー太郎な私に両親は優しかった。迷惑ばかりかけてるし、親孝行もできないし、私は何してるんだろう、ごめんね、そんなことばっかり言っていた。でも、「今は充電期間だよ」そう言ってくれた。

 

親に仕送り貰っているのに今回のツアーも仙台と赤坂を押さえてしまった。父が帰省する車にご一緒できることになったから正直にその話をしたら「せっかくだし行けばいいじゃん」と言ってくれた。

 

1年ぶりの再会は大好きなマカナだった。

慣れた会場、慣れた顔ぶれ、それだけで安心できた。ただ、東京でもワンシーズンに1公演行くか行かないかだったので、ライブ自体も久しぶりで、緊張して吐きそうだった。場内に入ってからずっと、具合悪くなるから早く始まってくれと思っていた。

 

客電が落ちると喉の詰まりがスッととれる。

 

あっという間の2時間だった。

4人の変わらない笑顔と眩しいステージがそこにあって、でも演奏や竜馬さんの歌声はもっと洗練されてより美しく力強くなっていて。

 

SHE'Sのライブのフロアにはふわふわ可愛い女の子が多くて、(気にすることでもないのに)私はいつも引け目を感じていたけど、今回は男性もちらほら増えていてそれも嬉しかった。隣にいた男の人はほとんどの曲を口パクで歌っていて、見るからに愛が溢れていて嬉しくなった。

 

Tonightを書いたきっかけは友達が心の病気になってしまったことだったと竜馬さんが言っていた。(のちに熊本地震があってそこから少し変わったけど、とのことだったが)

 

同じ状況だった私に届いたのだから、きっとそのお友達にもしっかり届いていると思う。

 

1年前、私を励まし送り出してくれたときの彼らと同じ歳になっている。23歳。何もできていないじゃないか、と思った。自分なりの、自分が綺麗だと思うキラキラを作りたい。死にたくなってる誰かを生に引っ張り戻したい。沢山笑いたい。好きなものに囲まれて生きていきたい。

 

いつも闇の中にいる私に沢山の光を浴びせてくれてありがとう。逃げ道を照らしてくれてありがとう。そんな気持ちでいっぱいのライブだった。

 

出会ってまだたった2年弱。それでも私にとっては既にとっても大きな存在になっているバンドだ。

 

ファイナルの赤坂も行く予定なのだけど、ひとつのアーティストのツアーで複数公演行くことも今までなかったのでこれが初めてだ。ブリッツに行くのも初めて。ドキドキする。楽しみ。

 

 

偶然と直感で繋がってゆく

 

散々個人的な出来事と思い入れを語ってきたけど、音楽に出会う偶然と直感の話ももっと書きたい。全部まとめて書きたかったけど長くなるのでこれについては次の記事に。

 

 

 

"普通に生きている"という奇跡

7年目に寄せて

 

東日本大震災から6年が経ち、7年目に入りました。

あの日高校2年生で、高校で模試を受けていた私は無事受験を終え、大学を卒業し、社会人になりました。いま無職ですが。しがらみポイズン。

 

当時私自身は学校にいたので怪我もありませんでしたし、周りに同級生のみんなもいたのでだいぶ安心でした。もちろん帰れない人は学校に残してもらえましたし。家族の無事もその日のうちに確認が取れましたし、自宅もぐちゃぐちゃにはなったものの大きな損壊はなく、津波の直接的被害もギリギリ受けませんでした。

 

地元の学区には海に面していたところもあって、家が流されてしまったり、浸水で大変なことになった友達も沢山いました。親が漁師で海の近くに住んでいた親友は家も飼い犬も教科書も卒アルも制服も思い出の寄せ書きも全部流されてしまいました。

 

同じクラスになったことはなかったけれど、同級生も数人亡くなりました。後々、亡くなったある同級生の卒業文集を見たことがありました。「10年後の自分へ」というテーマで全員が書いたのですが、その人は「何をしているかは想像できませんが、僕は普通に生きていると思います。」といった内容のことを書いていました。それを読んで涙が止まりませんでした。

 

明日は必ず来るけれど、明日に自分が存在している保証なんてどこにもない。それなのに私達は明日に自分が存在していることを疑わない。"普通"に生きていく、ということは"普通"じゃない。そもそも"普通"って何なんだ?確率論の話?なんてことをその時から考えるようになりました。

 

 

自分の周りだけでもこんな過酷な状況におかれている人が沢山いて、さらに福島では津波の被害もなく家もそこにあるのに、原発放射能で生きているうちに故郷に帰ることも許されない人もいたり、情報が入れば入るほど、自分なんて「被災しました」って言っていい立場なんだろうか、と思うこともありました。

 

でも、年を重ねて毎年この時期が来るたびに改めてその当時を思い出すと、本当に気が狂いそうな環境だったし、津波の映像も時間が経てば経つほど見るのが辛くなってゆきます。

 

これはわたし自身がちゃんと経験したことで、忘れてはいけないし、というかそもそも忘れられないし、先の世代にも必ず伝えていかなきゃいけないことだと強く思います。

 

 

 

"あの日"のこと

 

確か周りの学校は春休みに入っていた。私の高校はまだだったのか特別登校だったか忘れたが、模試があったので登校していた。午前から何教科か受けて、14:30くらいから最後のアンケートみたいなマークシートを塗りつぶしていた。プレッシャーから解放されてリラックスした雰囲気で、シャープペンの音だけの静かな時が流れていた。

 

14:46

 

ものすごい地鳴りがした。ただならぬ恐怖感だった。とんでもないことが起きる予感しかしなかった。そして悪夢のような時間がやってくる。

 

長い、長い、本当に長い時間に感じられた。冗談抜きで、本気で「死」が頭に浮かんだ。高校が崩壊して、みんな一緒に死んじゃうんだって、本気で思った。

 

揺れがようやくおさまって、校庭に出ろと言われた時、生まれて初めて腰が抜けて立てなかった。隣の席にいた友達がいつになく強引に私の腕を掴んで「行くよ!」って引っ張り上げてくれた。何が何だかわからなくなっていた。

 

校庭に出たはいいが、その日に限ってとても寒くて、挙句雪まで降ってくる。安否確認がすぐ出来たことは学校としても安心だっただろうが、電気も止まっているし、電話もネットも回線がパンクしているし、地震に関連した情報は何も入らない。もちろん津波なんて知る由もなかった。高台の高校だったのが本当に救いだった。

 

何度も電話をかけてやっとお父さんに繋がって、ブツブツいう電波の中で家族の無事を確認して、とりあえず学校にいろ、と言うところで突然切れてそれっきり繋がらなかった。

 

先生も情報が無かったので、徒歩や自転車で帰れる生徒には帰宅許可を出した。それで帰った友達もいたが、帰った直後に津波警報を知りマンションに登り、結果その目で津波を目の当たりにすることになっていた。帰った同級生の中で死者が出なかったのは本当に奇跡だと思う。

 

電車がないと帰れる距離でない私は高校に泊まることになる。寒いしどんどん暗くなる。電池わずかのガラケーワンセグが奇跡的に繋がる。津波の映像が中継されていたが、画質も荒れているし、何より津波がどういうものかわかっていなかったので、何が起きているのかよくわからなかった。そしてすぐ画面がフリーズした。

 

薄暗く寒い教室で、親と連絡のついた中学からの友達が「家、流されちゃった…」と呟いた時、なんて返したらいいかわからなかった。

 

夜はセミナールームのような教室に学年ごとに泊まることになった。ロウソクを立てたり、あと野球部がトレーニングしながら発電?するなんかそういうやつをやってたらしくて、そういうのを使って照明をつけたりした。ご飯なんて当然なくて、先生たちがなんとか集めてきたお菓子を少しずつ分けた。ぽたぽた焼を一袋だけ食べた。当然足りなくて、先生同伴で荒れ果てた部室に行って、そこからたまたま部員が置いていた飴やゼリーの駄菓子を回収して、みんなに回した。部室に行く時少し外に出るのだが、灯りひとつない夜の星空はすごく綺麗でたくさんの星が見えた。生徒指導の厳しい先生もその時ばかりは「すごいなぁ…」と笑っていた。

 

余震はずっと続いていて、近くにある工場では結構大規模な火災が起きていた。教室からも渦巻く火が見えるほどだった。爆風でガラスが揺れるたびに怯えていた。

 

教室は人数に対してどう考えても狭かったが、いつ何が起きるかわからない中これ以上教室を分けることもできず、そこで眠ることになった。みんなが横になろうと思うと当然無理がある。何人か眠たそうにしだすと、男子たちがさりげなく壁際の積まれた椅子の上に座ったりストーブの周りを開けてくれたりしていて、その優しさにすごく温かい気持ちになった。私も膝掛けをかけて、少しだけ横になった。

 

浅い眠りの中、世界史の先生に声をかけられる。

 

「お父さんが迎えに来てるぞ」

 

エッ、と思いつつも安心した。

一方いつ帰れるかわからない友達を置いて帰ることに後ろめたさも感じながら、全員早く帰れるといいね、と話して昇降口へ向かう。

 

その世界史の先生と私のお父さんは中学の同級生だったらしく、まさかのタイミングで再会を果たすことになった。苦笑いしつつも、「お気をつけて」と高校を出る。

 

町中の電気が完全に消えて、信号もない道は本当に真っ暗で、知らない場所みたいだった。お父さんはある程度津波の情報も得ていたらしく、道を選んで無事家付近まで戻ることができた。避難所になっていた近所の児童館に行ったが、翌日、数本前の道路まで津波が来ていたことを知る。体育館に避難していた家族と合流し、近所の幼馴染家族と夜を明かした。動かなくなった冷蔵庫から転げ落ちていたという冷食の大学芋を少しずつ食べた。

 

翌日、号外が配られる。白黒の一面にたしかでっかく津波の写真が載せられていたけれど、なんだか現実のものと思えなかった。というか、もはや何が起きているのかよくわからなかった。

 

こういう時のための地域の避難訓練には親に連れられてよく参加していて、その時にいわゆる"アルファ米"という非常用ご飯を試食したりしていたので、そういうのが配られると思っていた。

ただ、備蓄が人数に対して圧倒的に足りていなかった。何やらおにぎりのようなものも配られていたが私たちのところまでは届かなかった。

そういうのを取り仕切ってやっていた人たちが、自分の家族や親戚に優先的に渡しているのが見てすぐにわかった。私たちのところに回って来たのはわずかなスナック菓子だけだった。

 

自宅の中は当然荒れに荒れていて、とてもすぐには帰れる状態ではなかったそうだ。わたしも家の片付けに行きたかったが、余震もずっと続いているし、危ないからと言われ、児童館に残り弟や幼馴染とひたすらトランプやウノをして時間を潰していた。

 

2日ほど児童館に泊まって、私も幼馴染家族も自宅に戻った。片付けられたと言ってもそれでも家の中は酷い状態だった。水道だけはかろうじて生きていて、トイレは使えたが、窓がないので使うたびに懐中電灯。いつ止まるかもわからないのでお風呂やタンクに水を溜めた。

 

電気もガスもないし、とにかく寒い。スウェットや部活のジャージ、ウィンドブレーカー等々5.6枚の重ね着をして、いつでも逃げられる服装にしていた。携帯はとっくに電池が切れていて使い物にならない。お菓子やカンパンで食いつないで、昼間は相変わらずトランプをしていた。一休さんのルールをアレンジしまくって訳のわからないルールでやって笑っていた。一人っ子じゃなくて良かったと思った。ラジオで流れるアンパンマンの歌にも励まされたりした。

 

余震は朝も昼も夜もひっきりなしで、特に夜は真っ暗で本当に怖かった。疲れなんて取れる訳なかった。夕飯、っぽいものを食べても8時くらいにはもうやることもないし、ロウソクも勿体ないしで寝ていたのだけど、地鳴りがするたびに恐怖で飛び起きていた。

 

自宅に戻ってからは、食料集めをしなければならなかったが、当然スーパーも薬局も100円ショップも開いているわけがない。それでも、開くかもわからない店の前に朝から行列ができた。やることもないし、あてもなく私たちも並んでいた。ありがたいことに、本当に限られた商品だけではあるものの、店員さんたちが頑張ってくれて少しずつ、少しずつ、最低限の日用品や食料は手に入った。

 

たしか4日目くらいでガスが復旧した。これでなんとかお湯も沸かせるようになったので、カップ麺も作れた。夜は懐中電灯係が照らす中でお母さんが野外炊飯のごとくコンロでご飯を炊いてくれたりした。あんなに美味しい白ごはんは初めてだった。

児童館の方でも炊き出しが始まっていて、そこで豚汁や丼ものをいただいたりもした。

 

お父さんは電気機器系統に強くて、車用のバッテリーになんかコードをつないだり色々して、携帯を充電できるようにしてくれた。DVDプレーヤーのワンセグでテレビを見られるようにしてくれて、そこでようやくいろんな情報をカラー映像で得られるようになり、今ここで何が起きているのか、海辺がどれだけ悲惨なことになっているのかを知っていった。ポポポポーンのCMは最初こそ和んだが、正直だんだんキツくなった。

 

1週間弱経って、うちから5分ほどの距離のところまでは電気が復旧しているようだったが、なかなかうちの近辺までは来なかった。髪など当然洗えるわけもなかったので、バリバリだった。とりあえず3日すぎるともうだいたい同じ感じになる。ヘアゴムほどいても髪の形変わらないくらいバリバリになる。

ここでお父さんが奇跡的にガソリンの補給に成功する。お母さんの実家は井戸水を使っていて、薪でお風呂を沸かしていたので、とりあえずお風呂に入ろう!となり、車で山の方にある母の実家へ向かい、サッパリさせてもらった。入った瞬間に震度4くらいの揺れがあって、お母さんと全裸でうろたえた。

 

その日の夜、暗闇の自宅へ戻る道を走っていると、いつもの街灯の明かりが戻っていた。もしや?!と期待して家に帰ると、電気がついた。眩しかった。大歓喜だった。ちょうど1週間経った日のことだった。

その辺りからお店も少しずつ営業を再開させていて、夜、家族揃って明るい部屋で食べたピラフはいつになくとても美味しかったのを覚えている。

 

1週間でライフラインが全て戻った我が家はとても運が良かった方だと思う。そこからは夜まで片付けを進めたりすることもできたし、何よりお互いがしっかり見えて、テレビで随時情報を得られることが安心に繋がった。

 

ただ、中には誤報も多かったし、最低な嘘を流す人もいた。特に大きな余震もなかった中、突然津波が来るという話が流れたことがあった。嘘か本当かわからない中でも不安にかられるのは当然で、念のため車を高いところに移動し、幼稚園の屋上に一時避難したりもした。結果的にそれは誤情報で済んだが、今度こそうちまで水が来るのでは、とすごく不安だった。

 

良くも悪くも余震にはどこか慣れてきているところがあって、地鳴りの仕方で震源がおよそわかるようになっていたし、震度3.4くらいまでは動揺しなくなっていった。私に至っては地鳴りの前の空気変動?みたいなものまで察知できるようになっていた。これは本当に冗談じゃなくて、地鳴りより少し前になんか変な空気感を感じるのだ。丸6年経った今も、家にいるときはその空気変動に気付く。

 

そして3.11からちょうど1ヶ月の4.11、福島震源の震度6レベルの地震が再び襲ってくる。月が変わって受験生になった私は少しずつ勉強をする心の余裕も出来てきて、その時も確か勉強していた。

前述した空気変動、"あ、来そう"という感じが来て、スッと身構えた直後地鳴りがした。明らかに大きいのがくるのがわかる。

 

「来るよ!!!」

 

親も弟も察して、身を隠す。まるでもう一度あの日を繰り返すような揺れが襲って来る。家の中は再びぐちゃぐちゃになった。

さすがに参った。揺れに対する対処については落ち着いて出来たが、これからもこんなでかい余震が来るの?と思うと絶望した。

 

 

幸いそれ以降あのレベルの揺れには遭っていないけれど、ずっと来ると言われてた宮城県沖地震東日本大震災とは別物だというし、熊本地震もあった。首都直下、南海トラフ、常に日本中が大震災と隣り合わせだ。

 

私は今東京で一人暮らし。ご近所づきあいなんてものもほとんどないし、知ってる土地界隈などたかが知れている。そして東京という街。日本の中心。ここが潰れたら日本はどうなってしまうのか?

 

3.11の時も東京では食料や日用品の大量買い占めなどでスーパーがパンクしていたというし、そんな中で私は地震そのものを乗り切ったとしてもどうやって日々をしのいでいくのか。しのいでいけるのか。

 

不可避なものなのは十分わかっている。備えなければならない。仙台を離れて初めて迎えた3.11、そんなことを考えていた。

 

 

今は地震よりも緊急地震速報の音が怖い。前の職場でも2回ほど避難訓練に参加したけれど、あの音も鳴らされたから正直すごく心がしんどかった。

 

一方で、来たな、と思っても緊急地震速報が鳴らなければセーフ、みたいに思ってしまう節がある。無視。特に寝てる時の地震とかはもう、震度3とかあっても朝起きたら地震があったことすら忘れてしまっている感じ。

 

良くも悪くも地震慣れ。

こういう油断も良くない。

 

昨日も福島第1原発メルトダウンに関する特番を見ていたけれど、この件に関しては本当に途方も無い時間がかかることだし、改めてとんでもない事故だと思った。報道されることもかなり減ってしまったけれど、事態はまったくもって収束していないのだ。

 

永遠に会えなくなってしまった人のことも、故郷に帰れない人のことも、何1つ忘れちゃいけない。

 

 

備えあれば憂いなし、が100%そうかと言われたら、そうではないのかもしれない。それでも備えられるだけの備えは必要だし、自分の万が一にも備えて、私はいま日記をつけたり、形に残るものを残せるだけ残そうと思っている。

 

 

思い出すままに書いていったらすごく長くなってしまった…。もっともっと大変な辛い思いをした人が沢山います。でも、私があの日経験して、いまここに書いたことの中からも、何か1つでも、誰か1人でも、受け止めて考えて貰えたら嬉しいです。

低気圧

 

低気圧 悪天候 雨

 

憂鬱になるのはみんな一緒

一日中薄暗いし何もしたくなくなる

 

 

仕事を辞めてその足で帰省して

スッと楽になって

このまま昔の私に戻っていけるのだろう

と思っていた 薬ももう要らないかもって

 

 

東京に戻って転職活動を本格化した

もちろんやる気はある

何せ現在一人暮らしの無職ですし 最低

 

友達が泊まりに来て楽しかった

気付けば丸2日薬を飲んでいなくて

これはもう大丈夫かもって本当に思った

 

でも今日 早起きして勉強しようと思って

目覚ましとiPhoneのアラームを

働いてた時と同じようにかけたのに

ビックリするほど恐ろしく起きられなくて

なんでだ…と思って11時カーテンを開ける

 

雨。暗い。

 

あーーーーーーこれか。

 

 

そもそもすごく低血圧で朝が弱い。

そのうえ低気圧と来たらもう最低。

 

そしてここで鬱の症状がぶり返した

1番ひどかった時と同じだ

やらなきゃいけないこともわかってるし

それでも体が言うことをきかない

 

結局薬を飲んだけど あんまり効かなかった

鬱と低気圧の関係性を暴いてほしい明確に

 

何が不安かわからないけどとにかく不安だ

朝ごはんも飲み物も無くなりそうなのに

買い物に行くことすら出来ない

徒歩2分ほどの最寄りのコンビニに行くまで

渋って渋って30分かかった

10分で買い物して帰った

 

外気を吸ったら少しマシな気がした

 

だけだった。

 

夕方になって面接対策の電話をして

いざ資料をまとめていこうとしたら

何も出来ない なんで?って感じ

 

もうカーテン閉めて天気見えなくして

そしたら少しマシになったけど

それでもやっぱりダメで仮眠してみて

そのあと何の用もないけどオカンに電話して

結局ほぼ転職の話ばっかだったけど

海苔巻きの話とかもして1時間くらいで切る

 

一気に楽になった

 

仕事を辞めたが故に人と話すことが

今までに増して減ったのもあるのかな

 

無事に次の仕事が決まったら

一度帰省しようと思ってたけど

なんかもうダメダメだから

3連休にオトンの車で共に帰省することにした

 

これでSHE'Sのライブも行ける ふふ

 

 

こんなんなったら普通は

地元に帰ってこいって言うよね

 

でもそれを言わない親に感謝しなきゃな

根元を絶ったところで

簡単には治らないんだなってわかって

ちょっと落ち込んだけど

うまくコントロールして付き合いたい

 

まぁなるべく早く別れたいけど 笑

 

 

明日こそちゃんと起きたい

お散歩くらいの距離に図書館があるから

そこで受験生ばりに勉強する

 

まず生活リズム!(すでに2時

 

 

おやすみなさい

 

明日は太陽が出てください

 

 

 

ミックスナッツとキティちゃん

"こんな小皿のナッツなんて村上春樹の小説にしか出て来ないと思ってたよ"

 

"バーボンとかね"

 

"そうそう、丸テーブルの立ち飲みバーみたいなところで(笑)"

 

 

これが座って最初の話題だった。

 

この会話が成り立つなんて奇跡だ、と思った。そもそも私の周りに読書をする人が少ないし、いてもだいたい伊坂幸太郎とか東野圭吾とかあのへん。もちろん素晴らしい作家さんだし私も読むけど。なかなか村上春樹が好きな人には出会えない。(新作早く読みたい気持ちと文庫本待ちで葛藤中)

 

私はハルキストと名乗れるほどではないけれど、中学の時に 海辺のカフカ を読んでからずっと村上春樹作品が好きで。(スプートニクの恋人 がとても面白かったのでおすすめです)

 

何かしら読んだことある人はわかると思うんだけど、まず彼の作品に出て来る人物はみんな思考会話行動が現実離れしていて。

  

大学生が とりあえず、で丸テーブルのオシャレな立ち飲みバーでミックスナッツつまみながら強めのお酒を飲むみたいな描写がよくあって。会話も比喩と抽象に溢れていて哲学的。一般的な大学生こんな話しないぞ。だいたい誰かの彼氏の話とか、内容も覚えてないようなクソみたいな、ていうかクソな話しかしないぞ。

 

 

それはさておき、そんな村上春樹作品に出て来そうな雰囲気のオシャレな喫茶店でサッと差し出されたナッツを見て私がそう言ったこと、この人には伝わるな、と思って言えたこと、噛み合ったこと、嬉しかった。それだけ。オチはない。

 

 

人生はご当地キティちゃん集め

中盤で飛び出した話題。さすがに一聴では意味不明かと思いますが簡単です。

 

要は

 

好きなことは積極的に好きだと言った方が関わりをどんどん引き寄せられる

 

っていうこと。

 

ご当地キティちゃん集めてるんだよね、っていろんな人に言ったら、頼んでなくてもその人がどこか遠出した時に、あ、そういえばあの人キティちゃん集めてたな、と思って買ってきてくれるかもしれない。あそこであんなレアなキティちゃんがあったよ!って教えてくれるかもしれない。(自分で出会い買うことに意味があるんだよ!っていう意見もあると思うがとりあえず置いておいてほしい)

 

キティちゃんを集めていることを、人に言うか言わないかで、最終的に出来上がるコレクションは全然違うと思うんだよ。

 

仮に完全に1人でコンプリートしたコレクションと、いろんな人に教えてもらったり、買ってきてもらったりして作り上げたコレクションがあったとする。

 

前者は確かに圧倒的な達成感という価値があると思う。勿論こちらの快感がお好きな方もいると思う。

 

ただ、私個人としては後者のコレクションの方がより価値を見出せる、と思っている。これを買ってきてくれたのはあの人だ、最近会ってないけど元気かなぁ… とか これはあの人が教えてくれなかったら売ってたの知らなかったかもなぁ〜! とか、見てるだけでいろんな思い出だったり人との繋がりが見えてきたりする。

 

そして集めている最中、その中に、私もご当地キティちゃん集めてるんだ! なんて子がいるかもしれない。そしたらその子が、私の友達にも集めてる奴がいてさ、そいつすごいフットワーク軽いし情報通なんだよ!良かったら紹介するよ! とか言ってくるかもしれない。

 

そうやって繋がりが生まれていく。好きなものを好きだと公にすることで、大切な繋がり、思いがけない出来事が起きたりするかもしれない。

 

そう考えるだけでなんだかワクワクしてくる。

 

 

夢を叶えるために東京に出てきたのに、この1年何もできなかった。何も始められなかった。そう思っていた。

 

 

" もう始まってるんだよ "

 

 

この話をしていて、そして人から言われて、やっと気付けた。ありがとう。

 

 

(私にとっての「ご当地キティちゃん」の話はまた今度。)

 

 

この話に出て来た話し相手が、杉野です。

 

小説の書き出しどころか全部書いちまったよ。特別編だよ。書き出しはこの記事の先頭そのままでいいと思ってるよ。バーボン。🥃

 

 

「恋は窓」の話もあるんだけど、それはきっと杉野がうまいこと話してくれるんじゃないかなぁ〜〜(丸投げ)

 

 

それではまた。

 

 

 

こないだのハッシュタグのやつ

こないだツイッターでやった

#いいねした人が1冊の本だとしたら最初の1行には何と書いてあるか考える

ってやつ いいねしてくれた人ありがとう

 

なんかツイッターで垂れ流すのもアレだし、一人一人リプするのもなんか違う気がして、結果ブログにまとめちゃうことにしました。

 

もしかしたらいいねしてくれた人同士知らない人のやつも目に触れるかもしれないけど、それでも何か引っかかるものがあってくれたりしたら嬉しいなー。

 

ただ私は本当に比喩が苦手で、簡単な言葉しか使えないので。村上春樹作品が大好きだけれど、彼のような抽象的だったり複雑な比喩だったりは使えないので。

 

さすがに1行は難易度高すぎるっていうか何も伝わらなくない?もはやキャッチコピーでは?ってことで本の書き出しにするなら、くらいのイメージで書いてみました。

 

いいねもコメントも強要しないのでテキトーに読み流してもらってもいいです。ちゃんと一人一人のことで知ってること思い出しながら考えたのは事実なので、受け取ってもらえたら!

 

 

 

 

では

 

 

なるなる

いつも優しく笑っている人が必ずしも幸せとは限らない。そんなありがちな思考を巡らせながら今日も白い天使は笑顔で全ての、全てを、受け流していた。唯一受け止めたのが、彼の声だった。

 

 

ゆいちゃん

静かに熱く。苦しくて、悔しくて、時々納得いかなくて。それでも愛しくて仕方ないあなたを追いかけるだけ。たったそれだけの青春。あの頃をきっと私は何時までも思い出し続けるのだろう。

 

 

ちかちゃん

これは私が依存と自己嫌悪の狭間を無理やり塗りつぶしながら繋ぎ止めて来た日々に君が現れて、全てをあっさり綺麗に染め上げてしまったあの時の話だ。朝焼けと夕焼けと、もうひとつの、灼けるような1日の話。

 

 

たけだ

形に残ってしまうものは時に厄介だ。もう会えないのに、いつでも会える声だけを残して突然あなたが居なくなったあの日から、私はどうしたらいいのか今だにわからないまま。

 

 

まこちん

私がここ数年の気ままな旅に費やした財産と、そこで得たかけがえのない存在たち。お金で買ったなんて思わない。未来の運命はまだまだある。今は少しだけ、ビシッと黒のスーツを着て、日差しの中に溶ける。

 

 

ちえこちゃん

どうせ愛してしまうなら、持ちきれないくらい重たくありたい。生活の景色全ての色が反対になってしまうような、目の前が見えなくなるくらいに眩しい貴方の存在に重たすぎる愛を。簡単に言いたくない 特別 がそこにあった。

 

 

ゆーこはん

普通、一般、常識、当たり前。それってどれのこと言ってんの? 誰にも何も言う資格はないのだから、楽しいことをしよう。好きなことをしよう。今やりたいことをしよう。それの何が普通じゃないんだ。狂っているのは私が君か。

 

 

みずっき

出会わなくてもきっとそれなりに幸せに生きていた。と、思う。砂糖入りの冷めたコーヒーの甘ったるさに顔をしかめながら、きっと短い永遠の中において君はずっと特別のままなのだろうと思う。

 

 

まろちゃん

自由奔放、彼女はまさにそれを実体化したような存在だった。持ちきりのあの人の噂も、先入観も、どうでもよさげにくだらないことで今日も笑っている。愛しくて憧れてどうしようもない彼がそうであるように。

 

 

 

 

以上でございます!!!!

 

 

もうほんと他人のことを書くの苦手すぎなんですよ私は… 自分のことならいくらでも書けるんだけど、他人のことを魅力ある文章にするのが本当に下手くそで申し訳ないです…

 

まぁ だからこそやってみたかったし、良いトレーニングさせてもらいました。みんなありがとー!そして何より、思ってた以上にみんなのこと何も知らないんだな〜って思いました。し、もっと知りたいと思いました。

 

 

このタイミングで書くのもアレかもしれないけど、今月末で今の会社を辞めて1ヶ月の休養期間に入ります(もちろん就活します)

 

仕事はこれからも東京でやるつもりだから、会える人は是非会ってお話ししましょう。同じ目線で違う視点の会話をするのが大好きなのです。

 

 

それではまた機会があれば宜しくお願い致します。悩みながら書く過程、とても楽しかった!

 

 

それでは九段下に行ってきます(通院)

 

 

例えば"星野源"という字面だけでテンションが上がる

本名と芸名どっち使う?

先日のお茶会で話題に挙がった、というか、私が挙げた。作家だろうがアーティストだろうが役者だろうが、自分がその立場になった時、どちらを選択するか。

 

今回は私の考えについてだけ書くことにする。

 

 

私は 本名 でいきたいと思う派である。

 

自分の名前がそこにあるだけで誰かが一喜一憂(できるだけ憂は少なめでお願いしたい)するってすごく面白いことだと思う。

 

例えば私の場合、雑誌、フェスの出演者、ドラマ、映画、音楽番組、ラジオ、あらゆる場面で 星野源(ホシノゲン) という名前を見つけたり聞いたりするだけで、どんなに落ち込んでてもそちらを見てしまうし、気持ちが気休め程度でもキュッと上がる。

 

星野源星野源だから良い。あの見た目で、あの音楽をして、あの立ち居振る舞いで、あの演技をして、あの性格で、その全てを含めた"星野源"が確立されている。仮に彼が"GENです"とか言い出してももう違うじゃないですか。金髪で猫を飼っているロックバンドの人になってしまうじゃないですか。あれはもう"星野源ブランド"が確立されている。確か以前ご本人も仰っているので言いますが、彼はイケメンではないじゃないですか。でも、かっこいい。それはもう彼が彼として確立されているから。それが良いとされているから。

 

そんな人になりたい。

盲目になってほしい。

 

 

桜井和寿川上洋平、金井政人、大森靖子、井上竜馬、坂口健太郎…

そんな憧れの対象を挙げたらキリがないけれど、その名に踊らされてる感覚が嫌いじゃないし、超面白いと思う。

 

(じゃあ椎名林檎とか菅田将暉はどうなるんだよ、という疑問が湧いてしまったがこのことは一旦心の下書きに保存)

 

 

私はあんまり可愛くないけど、ぱっちり二重だし(中学生くらいで突然変異した)、身長の割には小顔な方だと思うし、特別太ってないし、人並みには運動できるし、音痴じゃないし、上手くないけどピアノも弾けるし、もちろん前科もない。(今すごく頑張って自分褒めてる)

 

それでも自分という存在にいつも劣等感と罪悪感を強く抱いている。名前を聞かれた時も、自信を持って名乗れない。当たり前に書類に書く名前も、書いてていつも訳もなく違和感を覚えてしまう。

 

決して自分の名前が嫌いとかそういうのではない。(ただ親が少々期待を込めすぎたよね感は否めない)

 

その理由は今までずっとわからないままだったけど、恐らくはよくいろんな歌詞になるような「私を私たらしめるもの」がないからなんじゃないか、と思う。

 

器用貧乏。

 

 

なにをさせてもそこそこできるけど、何ひとつ極められない。全部が中途半端。

 

 

私にしかできないことって何だ?

 

 

 

 

23年の中でいろんなものにハマっては飽き、ハマっては飽き、その中でもずっと好きだったのが文章を読むことと綴ること、音楽を聴くことと弾くこと。と言ってもこれまた飛び抜けた作品なんぞ作れた試しがないのだが。

 

 

美術作品や標語、詩、書き初め。銀賞、入賞(佳作)は度々いただいていたけれど金賞はとれた試しがない。部活してた頃も、団体メンバーに入っても私だけ使ってもらえなかったり(笑)あぁ、わたしってそういうやつなんだなーって少し諦めていた。

 

 

ただ、「私を私たらしめるもの」を得るためには、私の脳内から垂れ流されるものを作品にする以外にないし、そうでもしないとこの先寿命を全うしていく自信がない。

 

ずっと作り続けている。ただ満足がいかない。から、まだ何も言わない。口先だけと言われても仕方ないかもしれないけれど私は今制作期間。土台作り中。

 

病気をそこそこ動けるくらいまで治して土台が出来たら一気に放出します。そのときは本名で。自分の名前で一喜一憂してほしい。自信の無さと根拠のない自信ゆえの、他者承認欲求。

 

 

私は詞と音楽に関しては私を救済するためのものしか作れない。他人のために書けない。全ては自分の心を救済するためでしかない。それが同じ気持ちを持った誰かの心を救済することになるのなら、何かの役に立てるのなら。他者のために理由をつけるとしたら"できるだけ生きてた方がいいよ"そんなところな気がする。でもこれも自分宛か。笑

 

 

いろいろ書いてきて今、最後に思ったことは

 

どれだけの知能を持って発展を遂げてきたとはいえ結局他人に評価されることでしか自分の価値を確認することができない人間という生物は哀しいな

 

でした。暗すぎ。笑

 

 

心なんてとっくに折れているのでいちいち感情を呼び起こしもしません。いってきます。