メロンクリームソーダ

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初恋の人は不登校

恋愛と無縁すぎてこのまま仙人になると公言している私の初恋は実は幼稚園の年中だった。Tくん。

 

Tくんは学年1足が速くてモテモテだった。正直当時もそんなイケメンだとは思ってなかったけど、幼少期にモテるのはだいたい運動神経が良い奴である。彼は運動ができる上にとても優しい人だった。神か。

仲の良かった2つ上の従姉妹に「お手紙書きなよ!」と言われてラブレターを書いたことがある。後にも先にもラブレターなんぞこの時きりである。Tくんに渡そうとするも、彼はとてもシャイで、学年1の快足で園内を逃げ回るものだから、とうとう直接受け取ってもらえなかった。下駄箱の靴の中に入れた気がするけれど、事の結末は記憶していない。

年長に上がってからは関東から転校してきたこれまたモテ男のYくんと仲良くなり、家によく遊びに行くようになる。私の恋心はいつしか完全にYくんに向いていた。ちなみにYくんは卒園と同時に関東に帰ってしまったのだが、小学校に上がってからしばらくして、「ゆうみちゃんげんきかなぁ…と呟いています」という旨のハガキがYくん母から届き私はとても照れた。私のモテ期はあそこで終わったのかもしれない。

 

そんなこんなで小学校はTくんもYくんもいない環境で過ごした。学区の関係上、幼稚園、小、中、そのまま持ち上がらず、毎度バラバラになってしまうのだ。小学校でももちろん好きな人が取っ替え引っ替えいたが、ここは割愛(今思うとなぜあんな簡単に人を好きになれたのか思春期)。

 

中学校に上がる。私が行っていた中学校は4つの小学校から集まる少し大きい中学校だった。クラス発表を見ると、Tくんの名前が。6年越しに会う初恋の人、私は少しだけドキドキして登校した。

が、初日から卒業まで一度も彼の姿を見ることはなかった。彼は不登校になっていたのである。

不登校になる理由がある人には見えなかった。幼稚園時代と言えども本当に物腰の優しい人だったし、活発な方だったと思う。何があったのだろう。

時が経ち、担任や同じ小学校出身の友達からいろんな話を聞くようになり、その理由がわかる。

 

「お兄ちゃんもお姉ちゃんも学校に行っていないのに、なぜ僕だけ行かなきゃいけないの?」

 

これが彼が不登校になった理由らしい。

正直当時は「は?」って感じだった。理由はわからないが、彼の兄姉が不登校になっていて、それを見て「じゃあ僕も行かない」となったそうだ。そんなことが理由になるだろうか。学校は行かなきゃならんものでしょう、と。

熱心な担任だったので、たまに自宅訪問して本人と話し、ホームルームでその話をしてくれていたのだが、「背が高くてバスケが上手くてイケメンで、すごく優しい良い奴」と常々言っていた。そんな不登校おるんかい!と思いつつも、私が記憶しているTくんのままなんだなと安心した。

そんな特異な不登校だったTくんに私はとうとう会えないまま卒業し、その後も一切関わることはなく今に至っている。もしかしたらすれ違っても気付かなかっただけかもしれないが。

 

ずっと、学校は行かなきゃいけないもの、だと思っていた。もちろん義務教育の時期だし、行かなきゃいけないのは当たり前なんだけど、なんていうか「学校が世界」ではないのだ。彼はそれにいち早く気付いたのかな、とも思う。

校内の環境にマイナス要素がないのに不登校になるというのはある意味勇気が要ると思う。例えばいじめに遭っていたとしたら、学校という環境がめちゃめちゃマイナス要素だから逃げるために不登校になる、という流れは理解できる。でも、環境そのものに不満があるわけでもなく不登校になるというのは全くの別物ではないか。今だから思うことだけれど、あの年頃は「学校が世界」だった。学校のコミュニティから隔離されたら私生活もうまくいかない。そんな中で「兄姉が行かないなら僕もいかない」で登校拒否しちゃうTくんは今思うとめちゃめちゃかっこいいなと思う。あの頃の私たちが守りたかったスクールカーストなんて本当にしょうもないものだった。協調性がないとか、考えが甘いとかじゃなくて、本当は誰よりも世界の広さをわかってたのは彼な気がしてしまう。

 

今はどこで何をしているのだろう。全く見当もつかないけれど、きっと自由にのびのび生きているのではないだろうか。私の中ではもはや伝説のような存在になっている。今だからこそ、会って話してみたいなと思う。きっと生きてる角度が違う。叶うことはないのだろうけど。

 

恋心とは違った、何か特別な思い。謎を残したまま平行線の時間だけを重ねていくこの不思議な感覚、大切にして生きたい。

 

 

ものさし

わたしが知ってることなんて

嘘か本当かの線引きも曖昧な

ネットから得る情報がほとんどで

そんな情報だけで知った気になって

饒舌に語ってしまう自分には

なりたくないな

何を知ってるの?って言われたら

たぶん何もわからない

どんな環境で何を見て何を聴いて

現在に至っているのか

誰にも語らない場所でどんな努力をし

何を考え作りあげてきたものなのか

私には知る由もないことで

出来上がったものの表面だけ見て

嫌うことはできるだけしたくない

というか 無関心であってもいいと思うけど

悪く言う権利はないよなぁって

いかに楽しんでもらうか?喜ばせるか?

アウトプットの形が違うだけで

根本はみんな同じなんじゃないのかな

選ぶ権利はあっても

わたしに貶す権利はないような気がする

認めなきゃ認めてもらえない

受け止めなきゃ受け止めてもらえない

人も物事もできるだけ嫌いになりたくない

なるほどそういう切り口もあるのか

いや〜その角度で来るか〜

全部おもしろがりたい

自分は頭が堅くて

偏った脳みそなのわかってるから

全部新鮮に受け止めたい

価値観の物差しをたくさん持ちたいし

後ろからも真横からもちゃんと見たい

味方とか敵とかじゃなくて

いつもフラットな考えでいたい

自分で決めた正解があったとしても

何かを正解にするために

誰かを不正解にはしたくない

綺麗事かもしれない

でもそう思ったりした おやすみ

ドルヲタか男に生まれたかった

と、最近強く思っている。

勝手に説明する。

 

3パターンに分けてみる。

 

① わたし →♡ 女性アイドル

いくらでもキャーキャー言える。同性だからだ。いくらヤバイ!!!!!尊い!!!はぁ神様!!!!と叫んでもなんら支障ない。待ち受けにしたってなんら引け目は感じない。同性だからだ。

 

② わたし(男とする) →♡ バンドマン

いくらでも崇拝できる。同性だからだ。男にかっこいいと思わせる男ってスゴイ。男友達が男性アーティストを待ち受けにしてたりすると結構グッと来たりする(人によるけど)。同性だからだ。

 

③ わたし →♡ バンドマン

これだよ!!!!!これが!!!ダメじゃん!!?!!!!?牛乳瓶の底みたいな色眼鏡!!!そう、異性だからである。

どういうわけかバンドのフロントマンはやたらイケメンが多い。イケメンだから真ん中で歌いたがるのだろうか。実際わたしが好きなバンドも、フロントマンの顔がめちゃめちゃタイプとか普通にある。まぁこればかりは意思とは無関係の感情なので許してほしい。

でも!!!!わたしの場合仮に顔から入ってどんなに顔が好きでも、結局曲が好きじゃないとそこで完結するし、その先はない。聴かないし、もちろんライブもいかない。(逆に曲がすごく良くてかっこよく見えてきちゃう心理はあったりするが。)

 

ここでなんでもいいのでどっかのバンドのボーカルのツイッターとか思い出して欲しい。そのリプライ、本人の目の前で言えんの?みたいな言葉の嵐。え、君は彼女なの?の嵐。とりあえず落ち着けよ。それ、本人に言えるのか?タメ口とか本当に強すぎてビックリする。この手のタイプとはどうにも相容れないというか、論点がズレている気がしてそっと逃げてしまう。

好きな気持ちには変わりないのだと思う。でも、私にとっては違っていて。ラブ、ではなくて、そこにあるのはリスペクトで、例えばどこかで見かけても恐れ多くて声かけることもできないような、近寄れないような、触れられない神様みたいな存在。クソ重い思い入れを毎日真面目に背負って歩いている。

とは言えこれも所詮「一緒にしないで」というただの私のエゴで。それはわかっている。でも、だって、それでも、客観的に見たら女のファンなんてみんな同じに見えるじゃない?それが辛くて悔しいんだ私は。私が女じゃなければ、こんな風に思わなくて、思われなくて済んだのかなって思うんだ。

 

それだけです。一番自己中なのは多分わたしだし、しぬほど重たい女なんでしょうね。でも、好きだと思えたもの、構わずにぶれずに真摯に向き合って愛したいんですよ。薄っぺらい愛し方するくらいなら少々重いくらいでいい。

 

酒飲んでたからゆるして。

 

 

 

 

 

道ならぬ恋以前に

道ならぬ恋………。

 

昨日公開された映画「昼顔」。

ドラマが放送されていた頃、私はリアルタイムでは見ていなかったが、ツイッターで毎週のように「昼顔マジヤバイwww」みたいなのが流れてきていたので、なんとなく面白そうな印象はあった。

仕事をしていなかった3ヶ月の間、バイキング→グッディ→ドラマの再放送 の流れが定番だった(その頃の時事ネタにはだいぶ詳しくなった)。そこでおそらく映画の公開を控えての再放送になったドラマ昼顔を1話から見てみた。

不倫のドラマ、っていうのはなんとなくわかっていたけれど、見てみると想像以上のドロ沼でニヤニヤしてしまった。フィクションってわかってるからニヤニヤしちゃうけどこれ、身近に起きたら怖すぎだよ…。まぁここまでドロ沼になるのは、不倫されてもなお旦那や嫁が離婚しようとしないってところもあると思うけど。自分の旦那が友達と不倫繰り返してヤっちゃってんのに離婚したくないってなんなんだよ怖すぎる。そしていい歳して諦めない当事者たちもどうなんだよと。

…などと書いてはみたものの、これは自身が経験していないことだからそう思うわけで、当事者の気持ちなんてわかるはずもない。なんでこんな奴のこと…!と思ったって好きなものは好きだったりする。こんなに良い人なのにな…ってパターンもある。恋ってすごいな…(ボキャ貧)

 

そんな「道ならぬ恋」が招いた主婦の転落を描いたドラマだったわけだけど、見ていたら「普通の恋」すら手元にない私とはなんぞ???というあらぬ方向からの矢が飛んできたりした。学生時代ってなんであんな簡単に誰かを好きになれたんだろうな……。

友達、仕事、恋愛を3本軸とするのなら、私の人生からは恋愛が欠落していて、"結婚"も自分の歩く道にはないものしておよそ納得していた。顔で友達を選ぶような奴は周りにいないので、少々ひどい顔をしてても楽しい写真はガンガン載せたりするけれど、決して自分の顔に自信があるわけではないし、まして男性から好かれようなんて図々しいにも程があるぜって感じだ。顔じゃないよって言ったっていろいろあるだろ最低限のそういうの!!!!!

最近立て続けに友達の結婚式に参列して、"結婚は女の幸せ"的なアレ、なんとなくわかった気がした。ちょっといいなって思った。できたらいいな、くらいに思ってる人は大体結婚できないよって言われるのもすごいわかるんだけど、がっつくのもなんか痛いなって思っちゃうわけ。なんかもう全部うまいこと転がっていけばいいよ……。

 

そんなこんなで眼科の待ち時間に思ったことをつらつら書いているだけの駄文でございました。映画昼顔見に行きます。

 

北野先生のことサンシャイン斎藤って呼ぶのやめろ。笑

 

 

そう、iPhoneならね。

「夢はなに?」

と聞かれたとき、何と答えたらいいのかわからなくなった。やりたいことなんて山ほどあるのに、口に出して言えなかった。

 

 夢、将来、やりたいこと

あれをやりたい、こうなりたい、を強く思っていても、口から上手く出せないときがある。

歌いたいとか、曲を書きたいとか、文を書きたいとか、ある。でもそれを仕事にしたいと口から出せないのは、きっと自分自身がそれをやり遂げられる力も自信もないと思ってるから。傷つくのが怖いから。人の前に立つことはわかりやすく賞賛を受けることができる反面わかりやすく傷つけられる他者承認欲求の塊の私にとってわかりやすい賞賛は生きる理由になる。その反面匿名という無敵のバリアを纏った敵に容赦ない攻撃を受ける可能性もあって、それは時に自分の力ではどうにもならないことや理不尽なこともたくさんあって、その時私は自分で自分を壊してしまわないだろうかと不安になる。

自分が持っているものを信じているようで本当は信じられていないのかもしれない。こうやって勝手に書き綴っているところ止まりの才能なのかもしれない。そう思ってしまう自分の気弱さもクソだなと思うし、私らしいなとも思う。

 

自分が良いと思ってないものが他人に良いと思われるわけがない。仮に思われても後々自分を苦しめるだけだ。でも自分がゼロから作るにあたって、これで完璧!って納得できるものって果たして作れるのだろうか。無理な気がする。だって人間って成長してしまうもの。

書けど鳴らせど、夜が明けたらまた納得いかなくなるのだ。永遠に誰かに胸張って見せることなんてできないんじゃないか。笑

 

つまり私はこういう奴なんだ

ここまできたら誰しもお分かりだろう、私という人間のめんどくささが。でもこの気持ちって多分私だけじゃないと思うんだよ。私もだよ!って言ってくれる人を探しているんだよ。

 

………!!!

 

(突然答えが出てびっくりしている)

 

そうかそういうことか。誰かを救いたいとか、そういうんじゃないんだ。「私はこう思うんだけど、どう?!」を究極に美しい形で問いかけたかったんだな。

 

 

悶々と悩んでいたことも、こうして文字に起こすと整理できて良いね。iPhoneとの対話、良いと思います。

 

捕まえられない自分も見つけ出せる。

そう、iPhoneならね。

 

 

 

 

 

 

主人公は死なない

きっかけ

サラサラとタイムラインに目を通していたら、#死なない杯 という面白いタグ(企画)を見つけた。死に瀕した人たちがギリギリでこの世と自分を繋ぎ止めている方法などで溢れているんだろうと思っていた(重い)が、実際に読んでみると料理の作り方や町の歩き方など、実に生活感のある、それでいてどこか洒落た記事が並んでいた。これのどこが"死なない"に通じるんだ?と思いつつもいくつかの記事を読んでいくと、そうなんだ!という驚きだったり、これは試してみたい!だったり、"これから先への前向きな思考"が発生する。"死"にエンターキーを押す日が遠ざかる気がした。

 

死なないためにしたこと

3ヶ月前に鬱で仕事を辞めた。辞めるまでの月日は本当に地獄のようで、退勤して自宅に帰る道さえ常に心臓を掴まれていて、いつ握りつぶされるかわからないような気持ちだった。

そんな中で私が自己救済のためにやっていたことは"音楽の中の主人公になる"ことだった。

 

主人公になる方法(超簡単)

1.大好きな音楽を集めた相棒を用意する

私は昔からウォークマンユーザーだが、iPhoneでもなんでもいい。とにかく好きな音楽を集めた耳の相棒を用意する。イヤホンもある程度こだわると自己満足度が高まる。私はここ3年半くらいずっとオーディオテクニカのちょっと良いやつ。

 

2.ちょうどいいボリュームで聴く

これは当たり前のようで結構重要。小さすぎることはまずないと思うが、爆音すぎるとリアリティが失われる。あくまでちょうどいい感じ。そもそも爆音で聴くと危ない。

 

3.自分のルックスを脳内で書き換える

自分で自分の顔が見えないことの利点をここで存分に使おう。ほ〜〜らあなたは小松菜奈〜〜!!

 

4.さぁ世界はミュージックビデオ!!

さぁ機は熟した!!思い思いのストーリーを脳内に描いて歩く。映画の最後、街を歩く主人公を映しながら流れる主題歌。私はそんなイメージで見慣れた景色の中を歩く。 繰り返すうちに世界の見え方が変わってくる。ひとつひとつに何かを見出そうとするようになっている。嘘じゃない。

 

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行って仕舞えばこんな行動ただの現実逃避だ。自分の不遇を美化して誤魔化そうとしているだけ。それでも私にはそうしないと歩を進めることもままならなかった。そしてこれを繰り返しているうちにいろんな美しさに気付けるようになった。なんでもない日常の映像にいい感じの音楽つけるとその"日常"が超尊く見えてくるあの感じだ。

 

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満員電車で必死にiPhoneでAKB総選挙見てるサラリーマンも、金網越しに電車を見る親子も、夕日の中を走る中央線も、コンクリートの隙間に咲いた花も、点滅し続ける蛍光灯も、全てが美しい。

今目の前にある美しさは、突如そこに現れたものではなくて、自分が今まで日々を積み重ねてきたのと同じように、それぞれが見えないところで積み重ねてきたものがあって、やっと今ここに成り立っている。

 誰ひとり、何ひとつ同じ日々などなくて、同じ大きさの苦しみも同じ大きさの喜びもなくて、全てがオリジナルの今を生きている。それが作り出す美しさ。それを感じられるようになったら少しだけ世界がマシに見えたし、まぁ死ぬよりは生きてたほうがいいんじゃないかね、くらいには思えるようになった。

 

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どんな物語も主人公は死なない。私の視界に広がる世界の主人公はいつだって私だ。好きな音楽を連れて街を歩こう。苦しかった一歩がほんの少しだけ軽くなる。 

 

 

 

社会復帰

を、する。

明日(というかもう今日)から。

 

仕事を辞めてからの3ヶ月は早かったと言っても遅かったと言っても頷ける。ただ目の前に時間だけがあった。自由の喜びなんて一瞬だった。早く働かなきゃ、という焦り。もちろん働きたいなんて思っていない。ずっとダラダラしてたいし毎朝ゆっくりしたい。でも親にお金を振り込んでもらうのは心苦しかったし、友達が泊まりにきて外食に出る時も罪悪感があった。親と言えども他人のお金で生活することはやはり窮屈だ。だから働かなければならない。

丸一日かけて面接対策したって落ちるものは落ちるし、まぁいいかって感じで受けても進むものは進む。そんなもんだ。ある意味いろいろと貴重な経験をすることができた。そもそも無職というものを経験しない人だって少なくない。わたしは良い経験をしたのだ。今はそう思う。

 

眠くて何を書いているかいまいち自分でも怪しいけれど、節目だから書いておきたかった。

 

無職最後の日に豪快に遊んでしまったけれど気持ちよく寝付けそうだ。

 

おやすみ