メロンクリームソーダ

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わたしの「衣装」

変な服が好きだ

東京に来てから私服はおよそ高円寺の古着屋で買っている。誰も着てなさそうな服を見つけるとうきうきする。私のための服だ、私が1番似合う、って瞬時に思い込めちゃうあの自信が日常にもあればいいのにね。

最近、新しい服を買ってルンルンでSNSに写真を投稿すると、「イマイっぽいね」の類のコメントをくれる人がいる。これが、とっても嬉しい。服にも"わたし"をちゃんと表現できてるのかな、って嬉しくなる。

 

アースミュージックアンドエコロジー時代

が、私にもあった。高校までショートカットでバリバリ部活をしていた私にはいわゆる「女子大生」に憧れ、ゆるふわな服に走っていた暗黒時代がある。のちに量産型と言われる系統だ。もちろん当時は好きで着ていたけれど、どれも作りの小さいものが多く、170cm弱ある私はサイズを探すのも一苦労(ちなみに今は170cmオーバー)。そして何より似合わなかった。可愛いと思って買っても、いざ着ると他人を見て思い描く姿にはなれなかった。一瞬ニーハイとか履いてた時期もあった。殴りたい。もちろん量産型だったので誰からも何も言われなかったし、逆に言えば誰の目にも止まらなかった。

 

黒しか着ない時代

大学2年で某バンドにハマり、影響されやすい私は全身パステルカラーだったのが嘘みたいに黒い服ばかり着るようになった。そしてこの頃からハイブランドにも興味を持ち始めて変わったデザインの服を着るようになる。きゃりーぱみゅぱみゅみたいなフェアリーなリボンに付け替えてたアイボリーのコンバースはオールブラックに変わっていたし、フリルのショートパンツは黒のスキニーになった。

今まで以上に男ウケは悪くなったし(そもそもウケたこともないんだけど)、誰でもいいんだろうなみたいな奴にSNSで絡まれることもなくなったし、「葬式なの?笑」みたいなそれとなく敬遠する黒イジリもしょっちゅうだった。ショートボブにしてからは服とさらにイメージが合致したので、わたしのブラック化は加速するばかりだった。

この時期は2年半続いたけれど、ある時からみんな何も言わなくなったし、むしろ「カッケーな!」と言ってくれるようになった。髪にインナーカラーを入れた時も、最初こそやや引きだった友達も数ヶ月経てば「次は何色にするの?!」とか「見た目によらない思い切りの良さ良いと思う」とか(笑)褒めてくれる人が圧倒的に増えた。ほんとに人って慣れるんだな、と思った。一方で、「今まで着てなかったし見慣れないだけだ」と思っていてもやっぱり似合わないものは似合わないし、似合う服を着るのが1番カッコイイなとも思った。好きなものが似合えばいちばん良いんだけどね。たまたま変わった好みが自分に合うタイプで良かった。

 

変な柄こそ正義時代〜現在

 オールブラックを経て上京、充実の古着屋、そして私は柄物に手を出すようになった。(菅田将暉の影響も受けまくった)(最初誤打しててさだまさしって打った)

もう何着てても誰も引かないし、「ハイ出た〜ww」って面白がってくれる。ちょっとこれはハードかな(笑)って感じの服着て帰っても、親も「あんたそういうの似合っていいよね」って言ってくれる。

みんなから好奇の目で見られる、というほど派手なことはしていないし、特別おしゃれなわけでもないけれど、傷つく才能に特化しすぎた私にとってはたったこれだけの変化が周りに認められただけでも「続ければ認められる」んだって思えたし、自信になった。

私は美人じゃないし、コンプレックスなんて挙げたらきりがないけれど、それでも好きな服を着てる時は少しだけ自信が持てる気がするし、服や髪型の変化で自分自身も少しずつ変わるのが面白い。

一般人の私にはなかなか無縁なものだけれど、学生時代の発表会の類の経験から、「衣装」というものがとても好きなんだと思う。それを着てる時だけの人格、雰囲気の変化が楽しい。何かのスイッチが入る。私にとっては「私服」が「衣装」なんだろうなと思う。

 

新しい色を持った神様はいつも批判の先にしか生まれない。何を以って「自分」なのか。自分探しの旅とかつまらんこと言う前に手の届くところ自分らしくすることからだよ。私はいつだって背景に溶け込みたくはないし、そこにいるだけで何かが成り立つような、誰かの目に止まる存在になりたい。

 

いまは、目に見えない衣装も手に入れようと思っているところ。もう少し…!

 

いつだって自己ベストで生きたいよね。

 

 

 

峯田という人の話

 

「良質なライブ」とは何か。

 

いわゆる「良いライブ」いうものは、世にたくさんある。笑い、泣き、踊り、跳び、思い思いに感情を爆発させるあの場は本当に尊いし美しい。あんな密集空間の中に居ながら、たった一つの共通項以外お互いのことは全く知らないから、同じクラスにいたら相容れなかったであろう人同士も、どこかの嫌味な上司も冴えない平社員も、同じ音楽のもとごちゃ混ぜに楽しむことができる。すごいことだと思う。

それはそれで大好きな景色なのだけど、私の記憶の中にひとつ、どうしても何にも属せないライブがある。「なんだかよくわからないけどすごかったライブ」としか言いようがなかった。

 

銀杏BOYZ、峯田。

 

3年前のUKFC、銀杏BOYZの出演が発表された時、ネット上で結構ざわついていたのは記憶している。(のちに銀杏BOYZとしてのライブは3年前震災後の宮城が最後で、東京でのライブはなんと5年ぶりだったと知る。)

当時の私は恥ずかしながら銀杏BOYZを全然知らなかった。唯一知っていた曲は「東京」、友達のサークルのライブを見に行った時、OBの方が弾き語りカバーしているのを聴いて好きになった曲だった(超上手かった)。

 

 バンドメンバーが離脱し、実質峯田1人のステージとなる。「有名だしライブ見れるのレアっぽいから見とこ」くらいの気持ちだった。なんならその次のBIGMAMAがめちゃくそに好きなのでむしろそっちのことばかり考えていたと思う。今思うと本当にぶん殴りたいし観に行ってなかったら机に頭打ちつけてる。ドビーは悪い子!ドビーは悪い子!!

 

当日の朝、真夏のコーストに現れる「銀杏BOYZ」を纏った涼しげな白いTシャツの一団。[Alexandros]、BIGMAMAthe telephonesなどのTシャツが大半を占める中ではさすがに異質な存在に見えた。あと、ウェイがいない。銀杏BOYZはトップバッター。静かに淀みない足取りで会場に入っていく彼彼女らのオーラと目は、無知な私から観ても本当に「峯田のためだけに来た」って感じだった。

後方の少し高い位置から観れるのは新木場コーストの好きなところだ。いい感じの位置取り。最前線に見える白い帯。なんだか漠然とザワザワする。

本当に曲を知らなかったので、ここからはとてもざっくりした内容になってしまうのだけど許して欲しい。

 

ライブ中に全裸になって警察沙汰になったこととか、全然知らなかった。わたしは、東京という美しい歌しか知らなかった。だから、短パン一丁で現れて第一声「興味ない人帰って」と言い放った峯田に完全に度肝を抜かれてしまった。なんだこいつ…。そんなこと言われたら興味湧いちまうだろ…。

動揺している間にも荒々しく演奏を始め、一曲目から「戦争反対」「原発反対」と歌う。ほ、本当に何なんだこいつ…。頭がついて行かないまま峯田の音楽が頭にぶち込まれて全身を突き抜けて行く感覚。そんな彼の引きちぎれそうな叫びは東日本大震災を経験したこの身をすり抜けることなんて出来なくて、心臓がグッと締め付けられる感覚と、何に対してかも、感動か怒りか悲しみかもわからぬ涙が溜まった。動けなかった。

会場中が異様な空気感だったのをすごく鮮明に覚えている。ついさっきまでパリパーリしてたTOTALFATの時間が遠い昔に感じるほど、どこかの異世界にいる感覚。救いようのないどん底にいるような、かすかに光が見えるような。感情自身が感情をコントロールできなくなっていて、ただただ聴き入ることしかできなかった。

↓ セットリストはこんな感じだったそうです。


01. 人間
02. 夢で逢えたら
03. すばらしい日々(COVER)
04. 新訳 銀河鉄道の夜
05. ボーイズ・オン・ザ・ラン
06. 光
07. なんでこんなに好きなんだろう

 

強。

 

何が起きているのか、この感情はなんなのかわからないまま気付いたらライブは終わっており、放心状態というか、「なんか…スゴイ…」しか言えなかった。苦し紛れの褒め言葉ではなくて、本当に「なんかスゴイ」だった。

時が経って今思うと、その「なんかスゴイ」こそが峯田の真骨頂なのではないのかと思う。何が何だかわからないまま浴びせられた彼のなんかスゴイ音楽に、いつの間にやら魅せられている。そしてその「なんか」は彼が作ってくれた余白なのだと。その音楽から何かを掴みかけたとき、自分の中にある大切な「なんか」をそこにはめ込み、解釈することで、自分だけの歌になる。彼は何も押し付けてこないし、ひとりひとりがその音楽を自分だけのおまもりにする権利をくれている、ように感じる。

 

後にも先にも、あんな感覚になるライブはもうないだろうなと思う。圧倒的だった。あの瞬間、この世界において峯田の完全勝利。何か大きなものを得ているはずなのに何かを抜き取られたような感覚。その凄さと尊さに気付けたのは最近になってからなのだけど。

 

何を以って「良質なライブ」とするかは完全に個人の感覚の話なのだろうけど、私はあの日の銀杏BOYZのライブは「最高に良質なライブ」 だったと思っている。

 

峯田和伸、君は、イリュージョン。

 

素敵な音楽にグッサグサに刺されたい人生!

 

 

○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○

 

エンジェルベイビーを聴いたら記憶が蘇ってきたので書いた次第です。まだまだ知らないからもっと聴き込みたい。

(本来 峯田さん と言うべきところなのだけど 尊敬の意をしっかり込めた上であえて 峯田 と書かせていただきました。スミマセン)

 

 

 

 

ベスト盤なんて出なければいいのに

別に誰かのディスでもなんでもないのだけど。

 

ベスト盤、どう思いますか。

気になるアーティストが見つかったとき、ベスト盤が出ているとありがたい気持ちになる。ツタヤに行くとまずそれを借りてしまう。

たしかに代表的な曲が網羅されているし、一時的なコスパみたいなものはすごく高い。満足感がある。

でもそこで満足してしまう。あくまでわたしの場合だが、ベスト盤を最初に手にしてしまうとそれで全体を知った気になってしまう。対バンやフェスでやる曲も結構カバー出来ているし、ある程度それで事足りてしまうというか、そこで完結してしまう。

最近はApple Musicも使うようになり、レンタルすること自体減って来たけれど、ツタヤでレンタルしていた頃に踏み込み始めたアーティストはそのパターンが多かった。

わたしは基本的に配信が好きではなく、CDを持ち帰って開けて…の流れが好きなのでツタヤのアルバム5枚で1000円をよく利用していた。(基本的にCDは出来るだけ自分で新品を購入するようにしていたけれど、学生の財力ではお金が追いつかなかった。そこは誤解しないでほしい。)当然毎度5枚に収まるわけもなく視聴機で吟味するのだけど、ベスト盤があるとどうしても今欲しい曲のカバー率でそちらを選びがちになってしまっていた。そしてベスト盤を選んだパターンのものはだいたいそこで止まってしまった。

 

一方ベスト盤を出していなかったアーティストの場合、好きになった数曲が全部違うアルバム…!というのもザラだった。当時はユーチューブから入ることが多く、そうなるとシングルやアルバムリード曲のMVが上がるのは当たり前なので、この展開になるのもまた当たり前なのだけど。そしてその場ではウーーーンと頭を抱えながらも結局何回かに分けて全部借りていた。

そしてそうして借りたアーティストは今や全体を網羅できていたり、今も新譜を追いかけていたりする。最初こそお目当ばかり聴くが、周囲から曲をオススメしてもらったときもちゃんとアルバムの中にその曲がいるので、改めてレンタルに行く必要もなく即座に聴くことができ、どんどん好きになれる。

 

そんな経験が多いので、わたしはベスト盤が存在しない方が良い音楽体験ができるのでは、と思っている。

初めて聴く人が入りやすいことがベスト盤のメリットだと思うのだけど、裏を返すとそういう一面もあるのかなと思う。もちろんベスト盤というものは長い歴史と沢山の楽曲を積み上げて初めて出せる素晴らしいものだし、アーティストにとって記念碑的なものでもあるから、存在を否定するわけではないのだけど。ていうか私も買うし聴くし、ベスト盤。リマスタリングされてたりすると新鮮だしね。

配信で多くの楽曲が安価で網羅できるようになり、CDそのものも売れなくなっている時代、ベスト盤が持つ意味とは何か。どう思いますか。

 

タイトルで思いっきり吐き捨ててるけど、棚にCDが並んでいるのを眺めるのが好きな私はコレクター精神でこれからもCDを買い続けるだろうし、好きなアーティストのリリースはいつだって嬉しいんだけどね。

 

(結局何が言いたいんだよ!!)

 

 

 

初恋の人は不登校

恋愛と無縁すぎてこのまま仙人になると公言している私の初恋は実は幼稚園の年中だった。Tくん。

 

Tくんは学年1足が速くてモテモテだった。正直当時もそんなイケメンだとは思ってなかったけど、幼少期にモテるのはだいたい運動神経が良い奴である。彼は運動ができる上にとても優しい人だった。神か。

仲の良かった2つ上の従姉妹に「お手紙書きなよ!」と言われてラブレターを書いたことがある。後にも先にもラブレターなんぞこの時きりである。Tくんに渡そうとするも、彼はとてもシャイで、学年1の快足で園内を逃げ回るものだから、とうとう直接受け取ってもらえなかった。下駄箱の靴の中に入れた気がするけれど、事の結末は記憶していない。

年長に上がってからは関東から転校してきたこれまたモテ男のYくんと仲良くなり、家によく遊びに行くようになる。私の恋心はいつしか完全にYくんに向いていた。ちなみにYくんは卒園と同時に関東に帰ってしまったのだが、小学校に上がってからしばらくして、「ゆうみちゃんげんきかなぁ…と呟いています」という旨のハガキがYくん母から届き私はとても照れた。私のモテ期はあそこで終わったのかもしれない。

 

そんなこんなで小学校はTくんもYくんもいない環境で過ごした。学区の関係上、幼稚園、小、中、そのまま持ち上がらず、毎度バラバラになってしまうのだ。小学校でももちろん好きな人が取っ替え引っ替えいたが、ここは割愛(今思うとなぜあんな簡単に人を好きになれたのか思春期)。

 

中学校に上がる。私が行っていた中学校は4つの小学校から集まる少し大きい中学校だった。クラス発表を見ると、Tくんの名前が。6年越しに会う初恋の人、私は少しだけドキドキして登校した。

が、初日から卒業まで一度も彼の姿を見ることはなかった。彼は不登校になっていたのである。

不登校になる理由がある人には見えなかった。幼稚園時代と言えども本当に物腰の優しい人だったし、活発な方だったと思う。何があったのだろう。

時が経ち、担任や同じ小学校出身の友達からいろんな話を聞くようになり、その理由がわかる。

 

「お兄ちゃんもお姉ちゃんも学校に行っていないのに、なぜ僕だけ行かなきゃいけないの?」

 

これが彼が不登校になった理由らしい。

正直当時は「は?」って感じだった。理由はわからないが、彼の兄姉が不登校になっていて、それを見て「じゃあ僕も行かない」となったそうだ。そんなことが理由になるだろうか。学校は行かなきゃならんものでしょう、と。

熱心な担任だったので、たまに自宅訪問して本人と話し、ホームルームでその話をしてくれていたのだが、「背が高くてバスケが上手くてイケメンで、すごく優しい良い奴」と常々言っていた。そんな不登校おるんかい!と思いつつも、私が記憶しているTくんのままなんだなと安心した。

そんな特異な不登校だったTくんに私はとうとう会えないまま卒業し、その後も一切関わることはなく今に至っている。もしかしたらすれ違っても気付かなかっただけかもしれないが。

 

ずっと、学校は行かなきゃいけないもの、だと思っていた。もちろん義務教育の時期だし、行かなきゃいけないのは当たり前なんだけど、なんていうか「学校が世界」ではないのだ。彼はそれにいち早く気付いたのかな、とも思う。

校内の環境にマイナス要素がないのに不登校になるというのはある意味勇気が要ると思う。例えばいじめに遭っていたとしたら、学校という環境がめちゃめちゃマイナス要素だから逃げるために不登校になる、という流れは理解できる。でも、環境そのものに不満があるわけでもなく不登校になるというのは全くの別物ではないか。今だから思うことだけれど、あの年頃は「学校が世界」だった。学校のコミュニティから隔離されたら私生活もうまくいかない。そんな中で「兄姉が行かないなら僕もいかない」で登校拒否しちゃうTくんは今思うとめちゃめちゃかっこいいなと思う。あの頃の私たちが守りたかったスクールカーストなんて本当にしょうもないものだった。協調性がないとか、考えが甘いとかじゃなくて、本当は誰よりも世界の広さをわかってたのは彼な気がしてしまう。

 

今はどこで何をしているのだろう。全く見当もつかないけれど、きっと自由にのびのび生きているのではないだろうか。私の中ではもはや伝説のような存在になっている。今だからこそ、会って話してみたいなと思う。きっと生きてる角度が違う。叶うことはないのだろうけど。

 

恋心とは違った、何か特別な思い。謎を残したまま平行線の時間だけを重ねていくこの不思議な感覚、大切にして生きたい。

 

 

ものさし

わたしが知ってることなんて

嘘か本当かの線引きも曖昧な

ネットから得る情報がほとんどで

そんな情報だけで知った気になって

饒舌に語ってしまう自分には

なりたくないな

何を知ってるの?って言われたら

たぶん何もわからない

どんな環境で何を見て何を聴いて

現在に至っているのか

誰にも語らない場所でどんな努力をし

何を考え作りあげてきたものなのか

私には知る由もないことで

出来上がったものの表面だけ見て

嫌うことはできるだけしたくない

というか 無関心であってもいいと思うけど

悪く言う権利はないよなぁって

いかに楽しんでもらうか?喜ばせるか?

アウトプットの形が違うだけで

根本はみんな同じなんじゃないのかな

選ぶ権利はあっても

わたしに貶す権利はないような気がする

認めなきゃ認めてもらえない

受け止めなきゃ受け止めてもらえない

人も物事もできるだけ嫌いになりたくない

なるほどそういう切り口もあるのか

いや〜その角度で来るか〜

全部おもしろがりたい

自分は頭が堅くて

偏った脳みそなのわかってるから

全部新鮮に受け止めたい

価値観の物差しをたくさん持ちたいし

後ろからも真横からもちゃんと見たい

味方とか敵とかじゃなくて

いつもフラットな考えでいたい

自分で決めた正解があったとしても

何かを正解にするために

誰かを不正解にはしたくない

綺麗事かもしれない

でもそう思ったりした おやすみ

ドルヲタか男に生まれたかった

と、最近強く思っている。

勝手に説明する。

 

3パターンに分けてみる。

 

① わたし →♡ 女性アイドル

いくらでもキャーキャー言える。同性だからだ。いくらヤバイ!!!!!尊い!!!はぁ神様!!!!と叫んでもなんら支障ない。待ち受けにしたってなんら引け目は感じない。同性だからだ。

 

② わたし(男とする) →♡ バンドマン

いくらでも崇拝できる。同性だからだ。男にかっこいいと思わせる男ってスゴイ。男友達が男性アーティストを待ち受けにしてたりすると結構グッと来たりする(人によるけど)。同性だからだ。

 

③ わたし →♡ バンドマン

これだよ!!!!!これが!!!ダメじゃん!!?!!!!?牛乳瓶の底みたいな色眼鏡!!!そう、異性だからである。

どういうわけかバンドのフロントマンはやたらイケメンが多い。イケメンだから真ん中で歌いたがるのだろうか。実際わたしが好きなバンドも、フロントマンの顔がめちゃめちゃタイプとか普通にある。まぁこればかりは意思とは無関係の感情なので許してほしい。

でも!!!!わたしの場合仮に顔から入ってどんなに顔が好きでも、結局曲が好きじゃないとそこで完結するし、その先はない。聴かないし、もちろんライブもいかない。(逆に曲がすごく良くてかっこよく見えてきちゃう心理はあったりするが。)

 

ここでなんでもいいのでどっかのバンドのボーカルのツイッターとか思い出して欲しい。そのリプライ、本人の目の前で言えんの?みたいな言葉の嵐。え、君は彼女なの?の嵐。とりあえず落ち着けよ。それ、本人に言えるのか?タメ口とか本当に強すぎてビックリする。この手のタイプとはどうにも相容れないというか、論点がズレている気がしてそっと逃げてしまう。

好きな気持ちには変わりないのだと思う。でも、私にとっては違っていて。ラブ、ではなくて、そこにあるのはリスペクトで、例えばどこかで見かけても恐れ多くて声かけることもできないような、近寄れないような、触れられない神様みたいな存在。クソ重い思い入れを毎日真面目に背負って歩いている。

とは言えこれも所詮「一緒にしないで」というただの私のエゴで。それはわかっている。でも、だって、それでも、客観的に見たら女のファンなんてみんな同じに見えるじゃない?それが辛くて悔しいんだ私は。私が女じゃなければ、こんな風に思わなくて、思われなくて済んだのかなって思うんだ。

 

それだけです。一番自己中なのは多分わたしだし、しぬほど重たい女なんでしょうね。でも、好きだと思えたもの、構わずにぶれずに真摯に向き合って愛したいんですよ。薄っぺらい愛し方するくらいなら少々重いくらいでいい。

 

酒飲んでたからゆるして。

 

 

 

 

 

道ならぬ恋以前に

道ならぬ恋………。

 

昨日公開された映画「昼顔」。

ドラマが放送されていた頃、私はリアルタイムでは見ていなかったが、ツイッターで毎週のように「昼顔マジヤバイwww」みたいなのが流れてきていたので、なんとなく面白そうな印象はあった。

仕事をしていなかった3ヶ月の間、バイキング→グッディ→ドラマの再放送 の流れが定番だった(その頃の時事ネタにはだいぶ詳しくなった)。そこでおそらく映画の公開を控えての再放送になったドラマ昼顔を1話から見てみた。

不倫のドラマ、っていうのはなんとなくわかっていたけれど、見てみると想像以上のドロ沼でニヤニヤしてしまった。フィクションってわかってるからニヤニヤしちゃうけどこれ、身近に起きたら怖すぎだよ…。まぁここまでドロ沼になるのは、不倫されてもなお旦那や嫁が離婚しようとしないってところもあると思うけど。自分の旦那が友達と不倫繰り返してヤっちゃってんのに離婚したくないってなんなんだよ怖すぎる。そしていい歳して諦めない当事者たちもどうなんだよと。

…などと書いてはみたものの、これは自身が経験していないことだからそう思うわけで、当事者の気持ちなんてわかるはずもない。なんでこんな奴のこと…!と思ったって好きなものは好きだったりする。こんなに良い人なのにな…ってパターンもある。恋ってすごいな…(ボキャ貧)

 

そんな「道ならぬ恋」が招いた主婦の転落を描いたドラマだったわけだけど、見ていたら「普通の恋」すら手元にない私とはなんぞ???というあらぬ方向からの矢が飛んできたりした。学生時代ってなんであんな簡単に誰かを好きになれたんだろうな……。

友達、仕事、恋愛を3本軸とするのなら、私の人生からは恋愛が欠落していて、"結婚"も自分の歩く道にはないものしておよそ納得していた。顔で友達を選ぶような奴は周りにいないので、少々ひどい顔をしてても楽しい写真はガンガン載せたりするけれど、決して自分の顔に自信があるわけではないし、まして男性から好かれようなんて図々しいにも程があるぜって感じだ。顔じゃないよって言ったっていろいろあるだろ最低限のそういうの!!!!!

最近立て続けに友達の結婚式に参列して、"結婚は女の幸せ"的なアレ、なんとなくわかった気がした。ちょっといいなって思った。できたらいいな、くらいに思ってる人は大体結婚できないよって言われるのもすごいわかるんだけど、がっつくのもなんか痛いなって思っちゃうわけ。なんかもう全部うまいこと転がっていけばいいよ……。

 

そんなこんなで眼科の待ち時間に思ったことをつらつら書いているだけの駄文でございました。映画昼顔見に行きます。

 

北野先生のことサンシャイン斎藤って呼ぶのやめろ。笑