メロンクリームソーダ

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自販機の陽気なメロディ

病院にかかりたくないし顔もあまり晒したくないので、外では常にマスクの意識高い系なんだけど、家でも職場でもエアコンに晒されてるから喉をやられてしまった。クソッ、ボーカルなのにだらしねぇ‥(っていうネタ結構しつこくやってる

 

メンタルはぺしゃんこだし、喉が痛いし乾くし、水筒のお茶は美味しくないし、元気を出そうと思い休憩室の自販機でメロンソーダを買う。ポップメロンソーダ。炭酸フリークなわたしが中でもずば抜けて大好きなメロンソーダ。

 

ピッ

 

ピロピロピロピピーーーーン♫

 

????

 

無駄に陽気な音楽。隣の自販機の人の視線。注意力も散漫になっていたわたしは まぁ聞き間違いだろう わたしの自販機ではないはず と思いしゃがんでお釣りを取る。目の前のステッカーが目に入る。

 

当たりが出たらもう一本!

ボタンが全点灯します

 

ま、まさか‥

 

全点灯キターーーーーー!!

 

 

内心マジかよと思いながらも憔悴していた私はテンションの行き場がわからず絶妙な表情で立ち上がる。そもそも2本買うつもりで来ていない。なにを押したらいいのかわからない。でもあんまり悩んでるのもなんかがめついやつみたいで恥ずかしい。

 

リプトンアップルティー 150円

 

とりあえず1番高いのを‥

 

 

十二分にがめついだろ

 

 

こうして無事スマートにペットボトルを2本手に入れた私は、夕方休憩で混み合うカウンター席に座る。500mlのペットボトルを2本テーブルに置く。左右の人が明らかにガン見している。だって30分の休憩で1人で2本って。無駄な恥ずかしさに襲われる。あと荷物増える。重いし。嬉しいけど。水分は重い。

 

 

自販機の当たりが出たのは高校生以来かもしれない。ちなみに高校時代の当たりは買った商品と同じ値段のものからしか選べなくて、わたしは80円のサイダーを買っていて、80円はサイダーしかなかったのでもれなくサイダーもう一本だった。ウーン。

 

 

あれって嬉しいけど、場合によっては いらねぇよ!!!ってなるよね。荷物になるし。今じゃないッッッ!!ってなるよね。当たるときってだいたいそうだよ。なんなんだよ。

 

おいしくいただくよ。

 

オチはないよ。

 

 

答えがない事案で悩みたがり芸人

生きていることの意味とか考え始めたらもう夜が明けてまた夜が来て明けて来て明けてずっと答えのかけらも掴めなくて気付いたら死んでるんだろうなと思うからあんまり考えないようにしよーって思うんだけど、やっぱり考えちゃうな。

 

どうせ生きているのならたくさんの思い出を作りたいと思うけれど、結局その思い出というのは自分のパーソナルなものであって、他人の脳みそに移すことはできないし、そもそも他人に移したところでその人にとっての幸せではないだろうし、私が死ぬときに記憶も丸ごとどこかへ行くわけじゃん。

 

どんな手を使っても死ぬってわかってるのになんで人間は楽しみたがるの。わたしはなぜ生きたいと思うの。ていうか、こうやって考えてる時間こそ究極の無駄なんだと思うんだけど何故この思考は止まらないの。みんなそういうこと考えないの?って思うけど考えないんだって。エーッ

 

理由も意味もないのが真理だとしても生きていこうと思うなら無理やりでもそういう定義が必要だ。私は何をするために生まれたのか。天職がわかる何かがあればいいのにね。それぞれが一番輝ける場所にいけたら世界はウィンウィンなのにね。

 

いい加減楽しい記事を書きたいのにすっかり書けなくなってしまったな。昔やってたブログはとっても楽しく書いていたのに。うまく生きられないな。折り合いがつけられないな。

 

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渋谷の夜景は結構好き

果物のネオンが好き 可愛い

 

 

 

何をしたって最後は死ぬ

ここ1年半ちょっとtumblrを使ってたけど、なんとなく肌に合わなかった気がしたので。

 

気がついたら東京に来てから9ヶ月が経とうとしている。上京して何ヶ月、と数えなくなったのはいつからだろう。そして思い返すと多分、そうして数えることをやめたあたりから日々の記憶があまりない。悲しい。毎日がもみ消されているような気持ちになる。このまましわしわになるまで働いて、死に際に私は何を喜ぶのだろう。夜の6畳の狭い部屋の中で本を読んだり音楽を聴いて泣いたりキーボードを弾いたり詩を書いたりして、それが何になるのだろう。わたしは普通ではないのかもしれないという自覚がなんとなく芽生えていながらも、それが突出した才能ではないこともわかっていて、完璧主義の自分がさらにそれに拍車をかけて、一度それを放ってみる勇気すらない。心が強くないくせにここまで内側に負が蓄積して死なないの無駄にしぶとくて笑う。

 

「私は私 他人は他人」的思考だから良くないのだと指摘された。あれ。むしろそれは私がなりたかったもの、そして今もなりたいものだったはずなのに。

 

そもそも「私は私」という思考が今の私にあるのなら、全てにおいてこんなに過剰に悩むことも凹むことも無いだろうし、もっといろんな表現ができているはずだ。みんなができることくらい自分もちゃんとできたいって思ってる。でもそれを行動に移そうとすると普通の人の何倍もの労力がかかるうえに上手くいかない。なぜ出来ないのかと言われても22年かけて出来上がった性格が今更変わるだろうか。すぐにできるようになるだろうか。

 

学校に行かなきゃと思っていてもどうしても家の扉を開けられない人がいる。1日ちゃんと授業を受けなきゃと思っていてもどうしても保健室に行かないとうまく息ができない人がいる。私だってそれと同じだ。頭では痛いほどわかっているのにどうしてもできないことがある。でもそれは簡単にはみとめてもらえない。

 

間違って出来ないことを選んでしまったのなら出来ることを探して住み替えれば良い。でもそれすら。それすら猛烈な労力と時間を使う。生きるのはなぜこんなに難しいのか。最近の口癖は 生きるの難しい〜。

 

私は私、という意識は自己防衛か。個性だなんだと言っても所詮同じ形の箱になんとなく違う雰囲気のものを入れているだけで、例えばその箱の形を変えようとしたり、もう箱要らなくね?みたいなことを言い出したらそれは個性ではなくておかしい奴になってしまうのか。

 

プログラミングされた機械のように日々を浪費してゆく恐怖。ルーティーンなんてものは要らなくて1日1日をどうにかいい感じに丸め込みたい。はみ出したまま部屋の端っこで忘れ去られて綿ぼこりにもなれずに消えていった生活に日の目を見させてあげなきゃ何のために傷ついてきたのか泣いてきたのかわからない。

 

自己表現が苦手な自分が自己表現の世界に飛び込みたい理由なんてそこに生じる苦しみよりも好きな気持ちがあるからだ。振り切るためのあと一歩をどうにか、どうにか、踏み出したい。自分で自分の背中は押せないけれど、押してくれそうな人や場所を探すことならできる。どうにか。どうにかしたい。ちゃんとしたい。